たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

その優しさに一番の自信を持って

2013-09-18 23:42:29 | Weblog
 何かをすぐに達成したいだけなら、先人や経験者に言われたことだけをこなし、信念など持たないほうが良い。
 それまでの履歴によって無駄に知識や価値観があるほうが、そこで成り立っている体系に合わせずらいし、何よりもそれまでの履歴なんて役に立たないことが多い。だから、とにかく成果だけをあげたいのなら、同じ場所で言われたことだけをただひたすら繰り返しているほうがコスパーが良い。

 しかし、そのやり方で得られた能力は、誰かを実質的に助ける上では、何の役にも立たない。過去に自分が助けられたように助けることすらできず、ましてや自分が経験してもいないような不幸を取り払うことなんてできやしない。
 信念を持たないように努力し、言われたことを繰り返し行うだけの日々を耐える能力なんかで他人を実質的には助けられない。その能力を持ってして、かけてあげられる言葉は「こういう風にして我慢すれば良いんじゃない?」しかない。

 どんなことでもそうだけど、自分が知識として知っていることしか対応できないようにはなりたくない。
 最低限の知識と(それすらも少し質問すれば解決してしまうほどの)思考力さえあれば、あらゆる分野の専門家と対等に開拓していくことが原理的に可能なはずだ。
 思考力がある一定レベル以上になれば、知らないことを知らない!、っということに何ら恥ずかしさを感じなくなる。だって、そんなこと以上に、自分の思考力に自信を持っているから。

 生半可な思考力で紆余曲折しながら得られた能力こそがホンモノの思考力になる。それを持ってすれば、自分が経験した助けられ方だけでなく、その場で考えて解に行きつくスタイルとして、どんなことでも実質的に助けられるようになるはず。
 これこそが、俺が本当の意味で得たい能力だ。

 ただ、忘れてはいけないのは、本当のホントは、能力なんてどうでもイイって想っている、ってことだ。
 実質的に助けることはできなくても、精神的に助けることはできることも多い。優しい気持ちを胸に秘めていれば、ただそこに存在してくれていることだけで救われた気持ちになったりするし、ただ一緒に話をするだけで助けられるし、、実質的に助けようと孤軍奮闘しているのを「もう十分。そこまでで大丈夫だよ」って止めに来てくれることで心に沁みることもある。

 そう想ってみると、実質的な能力なんてつけなくても、精神的な部分だけで、十二分に、誰かを助けられる気もする。
 その場に存在するってだけで誰かに迷惑をかけているという理屈と同様に、そこに存在しているってだけで誰かしらを助けているのだ。それにプラスして、優しさを持っているのなら、それは何よりも尊い。

 まぁ、だからって、より良くするために本当の能力(≒ホンモノの思考力)をつけることをやめないけどね。だって、精神的な部分だけで十分でしょ?って開き直るのだったら、かっこ悪いし、男らしくないしね。

 でも、一般に、実質的な手助けができないからって、必要以上に自信を喪失することは無いのだと想う。
 あなたは、そこに存在しているだけで、誰かを助けている。だから、真面目に経験者の言うことを訊くことなんかに自信を持たず、どうか、その優しさに一番の自信を持って。
コメント
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