たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

意味の無いモノなど存在しない

2013-09-17 02:19:07 | Weblog
 ホンモノを追っていく、という理想は、かなり難しい。
 どうしたって言葉に騙されちゃうし、自分の気持ちにすら虚偽が発生していたりする。

 たとえば、誰かと比べたりして何かの言葉を得られなくて悔しい、なんて、本質的には間違っているはずなのだ。
 何かの能力が足りなくて悔しい、とか、何かの気持ちの継続性が誰かよりも劣っていて悔しい、なら、話はわかるが、何かの言葉が得られていないから悔しい、だなんてニセモノもイイとこ。

 俺が好きなモノって、何かの言葉を得ようと(だけ)してしまったら、全くと言ってイイほど意味の無い結末になってしまうことが多い。
 知りたい!という気持ちが無くなるまで研究すればイイし、書きたい!という気持ちが無くなるまで書けばイイし、演奏したい!と思わなくなるまで弾き続ければ歌い続ければイイ。それなのに、何かの肩書きを欲しがってしまうようだったら、コスパー悪すぎて、バカバカしくて、こんな分野やってられない。

 逆に言えば、できなかったときに悔しい!、っと思えるのなら辞めちゃダメだし、必ず能力向上へと加速していける。それさえあれば良いけれど、それがないのなら、さっさと他の楽しいことを見つけたほーがマシだよね。

 っと、ここまでが一体系における議論。

 だけど、俺が好きなモノって、一人じゃできないことが多い。ホンモノを追っていくことは難しいけど、みんなで追っていけるなら、それ自体は容易なのだ。
 どんなスタイルに立っていても、、そっ、たとえ政治こそが自然科学を研究する上で一番大切なことなのだっというようなバカげた考え方を持っている者でも、確かな一つの目的に一緒に向かっているのであれば、必要であり、楽しむべき仲間なのだ。

 コントラバスからピッコロまでをたった一台の楽器で扱える「ピアノ」は、通常88鍵盤であるが、ベーゼンドルファーの290Imperialモデルは97鍵盤準備されている。このピアノが9鍵拡張されている意義は、それらの重低音域が鍵盤として扱えるということ以上に、通常準備されている鍵盤を弾くことによって、あまり使われる機会のない追加された弦が共振されることで、より幅の広い音色になるというところにある。重低音域は、(少なくとも俺の耳では)普通の音階としては連続的に聞こえないが、だからといって音楽として必要が無いわけではないのだ。

 これと同様に、まったくの意味の無いものなど存在しないし、その対象が人ならば尚更だ。

 扱っている事象は生命現象でも、物理の素養や化学の知識、社会科や古典などの文系科目を学んでいるからこそ、同じモノを観ても、同じことを発言しても、深みが出てくる。
 それと同様に、あらゆるスタイルの人がいるからこそ、楽しいモノづくりになるし、そこに深みが生まれてくる。

 本当のホントのところの気持ちを言えば、意味の無いモノなど存在しないと、頭ではっきり理解し、心で確かに納得している。ニセモノに観える、意味無く感じられるモノだって、ホンモノのなかに包括されるのだ。
 それらが、正しい気持ちの方向性を示している限り。

 っま、こういうこと言うと、あまり物事を考えないヤツが、喜んで時間やお金を無駄遣いするから、あんまり言わないほうがイイかもしれないけどね(笑)。
コメント
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