たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

現実と向き合えるオオヨシキリ

2011-05-12 04:02:19 | Weblog
 即物的なモノは真実を誤魔化していく。
 お世辞でも「すごいですね」って言われていればとても安心するし、具現化することによって、なんとなくホンモノっぽくなって、勘違いしてしまいがち。実は、ものすごい能力の高い者に騙され続けているだけかもしれないのに、そこにホンモノを感じとってしまうのは悲しい。

 カッコウは托卵をすることで有名だ(托卵を例に出すのも一年以上ぶり!)。騙されているオオヨシキリは、本当はとても幸せなのかもしれない。「実は自分の子どもは殺され、一生懸命育ててるのはカッコウの子である」という真相は、決して解析しようとせずに、即物的なことに身を委ね、本能に従って、ホンモノを感じとって、自分よりも大きくなっているカッコウの子どもに餌を与え続けているんだから。
 敵は常に残酷な物理現象だ。体温が安定しないカッコウにとっては托卵しか道は無いし、もうオオヨシキリの実の子は存在しない。とっくの昔に巣から落とされている。
 俺は、そんなどうしようもない残酷な物理現象を観ないように努力して、せっせとカッコウの子の世話をしているオオヨシキリに、無駄に、真実をきちんと観なさい!、っと言っているのかもしれない。

 オオヨシキリだって、本当は頭のどこかでわかっている。だけど、本能や習慣や即物的な気持ちに勝てないのだ。それに勝てたオオヨシキリは、実際に、托卵を見抜き、カッコウの卵を巣から落とす。
 でも、時間は戻ってはこないしね。でもでも、頭のどこかでは、わかっちゃってるから、、『本当はちょっとそうだって思ってるからムカつくんでしょ?』

 自分がとても信頼している人が、実は、自分のことはまったくどうとも思っていない、なんて、想像もしたくないけど、常に、誰に対してでも、その不安がつきまとう。それで然るべきだし、そうじゃなきゃ、絶対にホンモノじゃない。
 逆に、絶対に信頼し合えている、なんて言えてしまう関係、薄っぺら過ぎて言葉も出ない。不安があって、さらに、期待したいという気持ちがあるからこそ、(リスクがあるからこそ)信じることに意味があるのさ♪

 オオヨシキリは、これからどうすればイイのかな?今出来ることはなんだろう??

 《まぁさ、もういっかい、俺らで、ゼロから楽しんじゃえばイイんじゃね?》

 いつだって思わぬところから解答は出てくるもんだ。楽観的な思考、めちゃくちゃ大事っ!
コメント
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