桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

物見の衆さんへ

2013-06-17 | Weblog
先般のシャラップ発言に付いて、質問があった。
判る範囲でお答えすると、上田大使が「シャラップ」と発言したとき、委員たちが笑ったかどうかは、俺には判らなかった。質問された委員の方も、人に重なる位置にあって、俺の席からは見えなかった。
視線が合った若い女性記者が、外人さんがする動作の、ちょっと両手を上げて「どう仕様もない!」と言うポーズと、同じような表情を示したのが印象的だったのを記憶している。
当日は、拷問禁止条約委員会の日本審査だったので、傍聴席にたのは、多くが日本からのNGOの人だったが、外国からのアムネスティの方、記者の方もいた。日本政府代表団は、各委員から「慰安婦問題、難民条約問題、警察や検察の捜査の問題、有罪率の高い裁判の問題」などで「改善すべき」と指摘されたが、糠に釘と言うか、真面目な答弁をしなかった。
「23日も取り調べが続き、弁護士の立ち会いがないのは問題」と言われても、「たった23日しかない」なんて答える始末だった。弁護士立ち会いを許すと捜査が妨害されるとも言っていたので、それで「日本の捜査のやり方は中世の名残を感じる」と言われたのだと思う。
何度も何度もと言うより、2007年にあった日本審査のときでも、同じように質問されているし、ある委員からは「美しい言葉より実行すべきだ」と言う趣旨の発言がなされたらしいから、この「中世」発言は、委員が業を煮やして行ったものだと思う。
「一部可視化」に付いて言えば、可視化とは、取り調べの状態を映像化し、第三者の検証を出来るようにすることだから、「一部可視化」は、可視化とは言わないと思う。一部録音、一部映像化と言うべきだ。
一部しか映像化しないのでは、映像化しない部分で、何が行われたか判らない。一部分の映像でスラスラと「自白」していれば、その映像を見る裁判員は判断を誤るだろう。一部映像化は冤罪を無くすために百害あって一利もないと、俺は思っている。

裁判所前宣伝

2013-06-17 | Weblog
今日は、東住吉事件の昼休み宣伝が、裁判所前で行われると言うので、名古屋に行くのに、少しは時間があるので、俺も15分ほど、マイクで話した。
大阪の裁判所は、東門と西門があり、両方に別れて宣伝するため、東京よりも人手が必要だ。
東門脇には、天満警察署があるから宣伝甲斐はあって、もう少し話したかった。検察の行った実験でも、ガソリンを床に撒くと、7リットルを撒き終わる前に風呂場の種火に引火してしまったそうだから、絶対に詫びない検察が、果たしてどんな弁明をするか、近く行われる三者協議が楽しみだ。

中村家

2013-06-17 | Weblog
南海線岸和田駅からJR東岸和田駅側にある中村家まで、歩いたが、大変な暑さで着いたときは汗まみれだった。
リンちゃん、ハナちゃん、スミレちゃんの3人が待ってくれていて、いきなりプレゼントを渡された。
汗を何とかしたい、の気持ちが勝り、有り難う!と受け取って開かなかったが、夜、ハナちゃんの母親、愛さんが産まれたばかりの子供と一緒に来て「父の日のプレゼント!」として、中村さんに扇子を渡しながら、「桜井さんにも、ハナから渡しました!」と言う。
すぐ開くと、写真の扇子!嬉しかったなぁ。
6時半過ぎには、近くに住む、俺のピアニストをしてくれる泉さんが、結婚することになった男性を連れて来て、更に高校1年生になったネネちゃん、中学生になり、サッカーをしていると言う、唯一の男性孫、ユウちゃん、ネネちゃん、リンちゃん、スミちゃんの母親、さくらさんも来て、全員で13名で楽しい食事と酒だった。
泉さんの彼氏は、非常に清潔感のある男性で、本当に良かったし、素直で個性的な中村さんの孫たちとの時間は、癒される時間だった。

48年振り

2013-06-17 | Weblog


岸和田には、救援会を通じて親しくなったご家族、中村さんがいる。
お孫さんの1人、華ちゃんは手紙をくれて「遊びに来て」と言われていたし、中村さんが「6月に来る」と言ったらば、「それでは遅すぎる!」と言っていたとも聞かされていたから、今回の大阪行きでは、ぜひ中村さん宅に行こうと考えていた。
その岸和田には、遠い昔に来たことがあった。岸和田競輪場だ。
たまたま高松宮記念競輪の決勝戦日に当たるので、それでは中村さん宅に行く前に、久し振りに行ってみよう!と、これも水戸を出る前に決めていた。
テレビでは、自宅にいる限り競輪を見ているが、実際に競輪場に来るのは、何年振りだろうか。
バックスタンドの位置には、子供用のモトクロス場が作られ、競輪レースの合間に子供たちの競技が行われていたが、3レースから8レースまで、見て来た。目的もなく生きていた遠い日の寂寥を思い出して、何だか寂しかった。虚しさを思い出してながら、3時前に帰って来た。