読売新聞は警察や検察などの味方であることが多い。中曽根康弘と親交を深めて以来、深く政治権力と結びついた渡辺恒雄という絶対的な権力者がいて、彼の意向に逆らうと左遷され、冷遇されることから、必然的に「権力」の意向に沿った記事が多くなるようだ。
でも、時々、目の覚めるような記事が掲載される。布川事件でも、最高裁決定を批判した「社説」が出て、俺の闘いを支えてくれた。あれは、渡辺恒雄と正反対の「見識」を持たれた方のペンによるものだったが、今朝は、誰が書いたかは知らないが、また素晴らしい社説が出た。
傷害致死事件で法廷に提出された取調画像(つまり可視化映像)が、弁護士からNHKに提供されて放送されたことを、検察庁が「目的外使用だ」として、弁護士を懲戒請求した問題で、「報道の自由が侵されかねない」と批判した社説だ。
この「可視化映像」には、取調官の書いた調書と矛盾する映像があったことから、「調書は信用できない」として被告は無罪になった。先に、小沢一郎氏の「事件」を作り上げるために、検察官が「記憶を混同した」として、取り調べられた人が語っていない内容の調書をでっち上げた事実があったが、この「傷害致死事件」でも映像と違う調書をでっち上げたことが証明された。映像があっても、平然と違う調書を作成するところに、今の取り調べの異常性が示されていて、日本の取り調べと言うものは、警察や検察が、自分たちの思い込んだこと、決めつけたことを強引に調書にして事件に仕立て上げるものだということを、如実に示した「事件」だと言えるだろう。
大阪地検は、無実にされた腹いせか、弁護士を懲戒請求したが、そもそも憲法は「裁判は公開を原則」としている。その法廷に提出された証拠は誰にでも公開される性質のものであって、刑事訴訟法によって「目的外使用の禁止」と規定することから間違っているのだ。
「目的外の使用禁止」規定は、「証拠を隠したり操作したりして、何があっても起訴した以上は有罪にする」という検察の行っている「非常識」な実態を国民に知らせないようにするために設けた、最悪の規定だ。寄らしむべし、知らしむべからず、は、権力の常だ。そこを追求するのが第三権力」たるマスコミの存在価値だろう。
「公権力を使って収集した証拠は検察の独占物ではなく、公共財産であることを忘れてはならない」と結んだ読売社説には、「国民の税金を使って集めた証拠は国民の財産物であることも忘れるな」と加えたい。そして、この「傷害致死事件」は、今でも勝手に調書を作って「犯人」を作り上げているのが取り調べなのだいうことを、社会に示した事件であることを、もっと問題にすべき事件なのだと言うことを加えたい。
頑張れ、読売記者!ナベツネに負けるな!