桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

お接待

2013-04-18 | Weblog


お遍路さんには、地元の人から説明されることがある。
俺は、徳島県を歩いているときにお茶をご馳走になったし、宇和島市でもお茶を誘われた。
今日は、太山寺に向かう古い道を歩いていると、オジサンが「お接待しよう」と、伊予柑をくれた。
驚いたのは、北条病院前を過ぎるとき、前にいた同世代みたいなご夫婦に婦人1人の3人が、にこやかに俺を見て、いきなり財布からお金を出してくれたのだ。断ったが、手を合わせても拝まれ、「いいの、いいの!行ってらっしゃい!」と言われては返すことも出来ず、頂いた。
いゃあお金もだけど、拝まれたのにはビックリ!
54番札所に向かう道は、右に予讃線、左に瀬戸内海だが、瀬戸内海は思っていた以上に澄んで綺麗だった。

今日の予定

2013-04-18 | Weblog



52番札所の太山寺までの11キロ弱。53番札所までの2キロ強。
そこまで行って、後は考えようと思ったが、足の痛みは踵にも来始めたので、予讃線駅の行けるところまで行き、松山市に戻っても良いと考えて歩み、北条駅を過ぎた辺りまで進んだ。
太山寺は、寺の山門を過ぎてからが長かった。左右に民家が並び、3百メートル、また豪華な門があり、境内も広かった。
53番の円明寺は、街中にあるこじんまりした寺だった。

繁多寺から

2013-04-18 | Weblog






泊まった宿から2キロほどにある50番札所に着いたのは、8時15分頃だったが、もう参拝者がいた。
門の外には、艶やかにボタン桜が咲いていた。
繁多寺から3キロ弱の石手寺は、簡素な雰囲気の寺が多い中で異質なほど、賑やかな寺だった。山門から寺まで、回廊になっていて両側には店が並んでいた。
なぜかは、次の寺に向かって判った。その辺りは、もう道後温泉だった。一般の観光客も来るためらしい。道後温泉と言えば、この写真。この建物の裏側から正面に回り、商店街のアーケードを歩くのが遍路道だった。

もりとほし

2013-04-18 | Weblog




昨夜は、そんな名前の宿を選んだ。
巡礼ガイドブックにある案内から、適当に選んで電話したのだが、行って驚いた。リゾート温泉で、松山市民が利用している近代的な施設だった。
夕飯は、温泉を楽しんだ若い人もいるレストラン。
スパゲッティを食べたが、まあまあ程度だった。
ここは部屋が凄い。
館内に入り、1度スリッパを履いて外に出るのだ。最後の写真が館内の案内書だが、各部屋は独立している。写真の2枚目が、入口から部屋。3枚目は、部屋の奥から入口方向。右のカーテンの外は風呂で、もちろん温泉だ!
思い掛けない部屋だったが、欠点があった。どうも時間制でも使用出来るらしくて、帰った後、すぐに部屋の掃除をするみたいで、その音が、凄く響く。俺は、早くに寝たが、起こされてしまった。
朝も温泉に入って、今日をスタートした。