桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

今夜の宿

2013-04-16 | Weblog
岩屋寺に着いたのは4時半ころ。
片岡さんとは、そこに迎えに来た奥さんが待っていて別れた。泊まらずに、夕方まで歩くだけと判ったのは、昼を食べた後だった。
国民宿舎古岩屋荘が、今夜の宿だが、布川事件で使った当時を思い出した。
宿の目の前には、やはりそそり立つ岩がある。
順調に進み、明日からの予定は、余裕で立てられるが、果たして、どこまで行けるかなぁ。

やはり大変

2013-04-16 | Weblog








今日は、さして困難な峠はないと思ったが、そうではなかった。
八丁坂と言われる場所が2つあって、これがなかなか!だった。
何が八丁なのか判らないが、膝に来て足を動かすのが困難になり、棒を持って、両手で足を支えるようにして、やっと調子を取り戻した。もし棒を持たなかったらば岩屋寺に辿り着けなかったかも知れないと思ったほどだ。歩いてみないと困難は判らない。
なぜ岩屋寺と呼ばれるのかも、行って判った。
岩の下に築かれているからだ。
山から入る岩屋寺は、いきなり赤いお不動さまが迎えてくれるが、これも岩の下!そこには岩の切れ目を登る修行場にもなっていた。これらの写真では、その覆い被さるような岩の迫力、判らないなぁ!

44番の特徴

2013-04-16 | Weblog





今日は、久万高原町を歩いたが、この辺りは木材が地場産業らしくて、その小学校舎が木造だった。
多分、2キロくらいの直接的な街で、その中に久万小学校はあった。携帯のカメラでは、その校舎の美しさは、余り判らないのが残念。
88箇所巡りの半分になる44番大宝寺は、まず初めに鳥居のような山門があるのが特徴で、正式な山門や本堂は重厚な造りだった。来て見なければ判らないねぇ。

半分を通過

2013-04-16 | Weblog

昨夜の旅館は、実に良く眠れた。襖1枚で人が寝ているし、人が動けば、すぐに音が立つ和風、何時もは眠れないパターンだが、ぐっすりだった。
昨日に懲りて、万が一に昼飯にありつけなかった場合を考えて、宿にお握り2個を作って貰い、7時過ぎに出発した。
歩き初めて、少ししたらば、片岡さんから電話で「今から行くので、どこにいるか?」と。
片岡さんは土佐っぽの典型みたいで、余り説明をしない。愛媛県と県境にある片岡さんの家は、今日の予定の44番札所が近いのだとか。奥さんと一緒に来た片岡さんと歩くことになった。
初めの予定は、真っ直ぐに45番に行って、明日、帰り道に44番に寄って46番札所のつもりだったが、時間的に快調に進み、昼には45番の大宝寺に着きそうなことから予定を変更して、順番通りに進んだ。