桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

宇和島城

2013-04-13 | Weblog
宇和島市に入り、宇和島城まで3キロの掲示板を見た。
俺は、大の城好き。脇道に入って見て帰ろうかと思ったが、明日からは単独になり、山に入るコースと距離を考えると、少しでも距離を稼ぎたいと思って諦めた。それでも道路掲示板が示した左手を見ながら歩いていると、突然、交差点から正面に城が現れた。
遍路道が城の下を通るようになっていたのだ。
時間の関係で見て変えれなかったのは残念だったが、姿を見られたのは満足だった。

悪知恵

2013-04-13 | Weblog
暫く前から迷惑メールが来るようになった。
初めは若いねーちゃんの写真が付いていたり、それらしいメールと判るモノだったが、このところ、敵も考えてる。
今日など「ごめん、気が付かなかった」なんて題文だった。俺が気付いてる!っての。
「もう諦めるしかないんですか」なんてのもあったが、きっとメールを受信させようと悪知恵を働かせているのだろう。
もう相手のアドレスが判るし、選択受信だから一気に削除してしまうからどうってことないが、こんな悪知恵を働かせないで、全うに働けば良いのになぁ。
どんな連中がやっているのか知らないけど、その面が見たいねぇ。

変わらない場所もある

2013-04-13 | Weblog
土佐の遍路道に付いて批判ばかしして来たが、伊予にも悪路はある。
今日のラストは、歯長峠だったが、その登りなど、雨で道が掘られてしまい歩きにくかった。
明日は、多分、宿の関係ど40キロは歩くことになりそうだが、歩き易いのを祈ろう。

初めて見た

2013-04-13 | Weblog

光満(みつま)という場所にあった休息場には、誰が編んだのか、マフラーなどが置いてあった。
きっと寒い時期に、寒い思いをする人のために置いたのだろうが、こういうのを見るとホッとする。
あれは津島町の畑地地区を歩いていたとき、突然、「頑張ってください!」と、可愛い声がした。見ると、小学校に入ったばかりみたいな女の子だった。作業小屋みたいなところから走り出て来て、今度は「さょうなら!」と言った。
もちろん、有り難う!さよなら!と声を返したが、芭蕉が栃木県の玉生(たまにゅう)であった女の子、かさねを思い出した。
歩いていると嬉しいことがあるねぇ。

42番、佛木寺まで

2013-04-13 | Weblog




旧宇和島市にある40番、龍光寺に着いたのは3時半ころだったが、この寺には稲荷神社が併設されていて、何だか変な感じだった。それでかは判らないが、写真を撮り忘れた。
住職だろうが、衲経帳に書いた後「当て紙を忘れて墨が付いてしまった」と言いながら返して寄越した。
見れば、その通り。
気が付いた後でも、やれよ!と思ったが、変な寺の変な住職だったろうか。
この写真は、津島町にあった馬目木大師と呼ばれる物。
龍光寺から3キロほどの佛木寺は、新しい山門、茅葺きの鐘楼、広い境内と、全く違っていた。
佛木寺に至る道路には、三間高校の生徒たちが植えたチューリップが綺麗に咲いていた。

遍路日和

2013-04-13 | Weblog

宿から6キロほど、戻ったところまで、車で送って貰い、今日のスタート。
天気は良いし、風景は鮮やかだし、最高の1日だった。
旧津島町の田園は、田植えも始まり、葉桜になっていた。もう少し春の歩みが遅ければ、桜の下の遍路になっていたのに惜しい。

大畑旅館

2013-04-13 | Weblog
昨日、泊まった宿は、今は知らない人も多いかも知れないが、獅子文六という作家が逗留して「てんやわんや」という名作を書いた旅館だった。
写真は撮り忘れたが、有名な邸宅を旅館にしたとかで、閉じられた大きな門があった。