桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

早い宿泊

2013-04-15 | Weblog
昨日の宿からは、地図の距離表示によれば、約29キロくらいにある大福旅館だが、何と3時前に着いてしまった。
右足のマメは、まだ痛いし、足全体の疲労もあるしで、思うようにあるけなかったのに、この早さ!距離表示が違ってるのだろうか?宿に着いて足を見たらば、潰したマメの下に深く、またマメが出来ていた。
明日は、少し長い地図表示の距離になるが、今日が早い休養だから、きっと上手く行くだろう。
早く宿に着きそうなのでバス停で休んでいたらば、明日の宿を教えて貰い、先に45番札所に行き、明後日は44番から46番になりそうだ。

挙動不審かも

2013-04-15 | Weblog


俺は、歩いているときに、それは目的であることも考えるが、通る地区に住む人にも興味があるし、特に廃屋に惹かれる。
徳島から高知、愛媛と歩いて来て、改めて思うのは廃屋の多さだ。多分、遍路道は古道だし、不便な場所が多いから、若い人は出て行き、自然と人の住まない家が増えるのだろう。
草に飲まれた家、判るだろうか?
どんな人たちが住んで、どんな生活をしていたのだろうと考えると、厳粛な気持ちになる。
しかし、あっち見たり、こっち見たりしてる俺は、もし巡礼の装束でなければ挙動不審で追いかけられるかも知れないね。

昼飯抜きになった!

2013-04-15 | Weblog


昨日、腹が減ったときに食べようと買ったパンケーキを、今日も持って来て、10時過ぎに休憩して食べた。
昼飯は、内子町辺りにあるだろうと思ったが、そこを通過した時間は、余りに昼飯には早過ぎた。それで、次の大瀬という地区に期待したが、これが駄目だった。店はあり、パンくらいはと思ったが、あれば品切れ。次の店は鍵が閉まってるで、とうとう甘酒で我慢した。
写真のようなお遍路さん用の休憩所は、沢山あって休む場所には事欠かない。
大瀬を過ぎて、どのくらいだったろうか、「曽我十郎首塚」とあった。曽我兄弟の仇討ちは知っているが、この地に首塚があるとは知らなかったぁ。

大洲を発って

2013-04-15 | Weblog



宿だったオオズプラザホテルは、食事がなくて、昨夜は、隣の「大阪王将」で餃子定食だったが、これが多かった。
今朝も、同じ敷地にあるコンビニで買ったいなり寿司などを食べて出発。
すぐ近くに「十六ヶ橋」(とよがはし)と言う巡礼の関連堂があったが、ここは永徳寺と言う寺でもあった。反対側道路を通ったので写真だけ。
2時間ほどあるいて内子町に入ったが、ここが、また古い街並みで「内子座」と言う劇場もある由緒ある町のようだ。
写真は、古い薬屋で、人形まで置いてあった。