桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

最後は城

2013-04-14 | Weblog

街に入り、明治時代の街並みを通って、肘川橋に来ると、左手に川に競りだして大洲城があった。
大洲は、古い歴史を各所に残した城下町だった。
清流の肘川では、夏には鵜飼いも行われるとか。
日本には、素晴らしい土地が沢山あると知らされた大洲だった。

鳥坂峠

2013-04-14 | Weblog




今日の、最後の難所は鳥坂峠。
この場所は、隣藩との人の出入りを見張る場所だったらしくて、その番所が、昔のままに残っていた。
どの峠も、そうだが、昔は人が行き交っていた生活道路だったと言うのだから、昔の生活は大変だった。
今まで登りに較べれば、大した坂道ではなかったが、峠からは良い景色が見られた。
どの辺りかは忘れたが、日天月天様と言う祠があった。太陽と月に感謝した祠らしいが、その石は、この辺りから切り出されて、古代インド文字が刻まれているとあったのに驚いた。なぜ古代インド文字!?
この場所を忘れたと言うのは、この後に原因がある。愛媛県は案内が親切だと書いたが、この鳥坂峠辺りからは、高知県よりも酷いくらいに案内が無くなった。途中、道に迷ったようになり、山の中だけに参った。

宇和

2013-04-14 | Weblog

明石寺を発って、すぐに宇和と言う地区を通った。
四国は歴史の土地だけあって、卯之町と書かれた地区の町並みは、昔のままの姿を保たれた美しい街だった。

明石寺

2013-04-14 | Weblog



43番札所には、10時半頃に到着。
そこまでの風景は、花が咲き、鯉のぼりが泳いで、歩くには、今日も最高だった。風も背中を押してくれた。
明石寺は改修中だった。
季節になって、今日もバスど巡礼する団体がいた?
こういう皆さんは、正式な般若心経やら何やらを唱えるから、結構、時間がかかる。
俺は、経本も持っているが、ただ手を合わせて思いを捧げるだけだ。

歯長峠から

2013-04-14 | Weblog


今日は、いきなり強烈な登りから始まった。
足のマメは、昨夜、潰したから痛みはなくて登りに影響なかったが、足全体の疲労は抜けなくて動かなかった。
登りの角度は、何度くらいだったか。左手に鎖があるのだから、その急勾配が判る。でも、その登りは、すぐに終わって、後は、平凡な登りだった。
峠には、歯長峠の由来を書いた掲示板に祠があった。源氏なのに平家に加わり、終われて、この地に住んだ武将の歯が三寸だって。ホントかよ!と言いたいが、伝説。