桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

異義あり

2013-03-07 | Weblog

ときどき俺のブログには、自分の非常識を理解しないで他を非常識と非難する類の書き込みがある。他人を評するには、俺も非常識なところがあるから相応しくないが、前川さんを知らずに無責任に語る、この「非常識」氏には黙っていられない。
昨日、名古屋高裁の判断を書いたらば、前川さんの記者会見を見たらしい「非常識」は「裁判官をアホと言ったから前川さんは常識がない。裁判官は、いい大学を出て頭の良い人がなる」とか書き入れている。
前川さんは常識があるから「アホ」という優しい言葉で止まったと、この「非常識」には判らないんだね、可哀想に。
多分、この「非常識」は、福井女子中学生殺し事件で、前川さんが無実だと我々が応援するほど、事実関係を知るまい。もし知って書いたならば、昨日の裁判官たちと同類だし、何も事実関係を知らないで書いたならば、ただ裁判官は頭が良くて偉い人だとか、警察や検察は正義を守る人だとか、頭から信じて疑わず、警察や検察、裁判官たちの不正を増長させる連中の1人なのだろう。実に哀れだ。
前川さんの再審開始決定を取り消した志田裁判官などは、アホではない。ただの法律馬鹿に過ぎない。
頭の良さと人間的な賢さは違う。いかに良い大学を出ようが、司法試験に合格しようが、事実を見抜けないような人間的愚鈍は馬鹿と言われて仕方がない。でも、前川さんは優しいので、静かにアホと語ったのだ。そこが判らない、本当に哀れな「非常識」だが、この「非常識」は、前川さんにアリバイがあることを知っていようか?
前川さんは事件当日、その犯行時間帯に家族と一緒に食事をしていた。でも、「家族の証言は信用出来ない」と排除され、覚醒剤で捕まった暴力団員と、その取り巻き連中の「血だらけの前川を見た」と語る、限りなく変転する目撃談のみで有罪になった。今も苦しめられているのだ。
この意味を「非常識」氏には理解出来るだろうか?
家族は嘘を言う、他人の暴力団員たちは嘘を言わないとした先入観で判断したということだ。嘘を言わない人は、たとえ家族でも言わないだろう。嘘を言う奴は、たとえ他人でも人を陥れる嘘を言う。当たり前の話だ。そこを事実関係で見抜くのが賢さではないのか。
アリバイを知る家族の思いは、いかばかりだろう。どんなに悔しかろうと思うと、俺は名古屋高裁の馬鹿な裁判官たちが、今日ものうのうと人を裁く立場にあることに激しい怒りを感じる。そして、事実関係を知りもせずに、そういう裁判官を盲信する、哀れな「非常識」のような存在には、深い哀れみを感じるねぇ。
大樹寺には、まるで名古屋高裁の馬鹿な裁判官たちの、馬鹿げた判断を諫めて書いたような言葉があった。写真にある言葉は「心、ここにあらざれば、視れども見えず」と読むらしいが、「ここ」とは、どこか!そこが馬鹿と賢さの違いだろう。大学や司法試験では得られない賢さだが、視ても見なかったら、見ないのと同じだとある、この言葉を「非常識」氏にも贈ろう。


大樹寺

2013-03-07 | Weblog

昨日は、馬鹿な裁判官たちの、馬鹿げた判断に腹が立ったり、落胆もした。正直、祝杯の予定の連泊をキャンセルして帰るか、ホテルでやけ酒で寝てしまうかと思ったが、名古屋の友人の誘いで岡崎市にある大樹寺に行った。
俺がお城大好き人間と知り、名古屋近辺の古城を案内しようと調べてくれていた友人の好意を無視出来ないと思って行ったが、これが良かった。馬鹿な裁判官たちを裁判官職から追放出来るようにし、常識ある司法にしよう!という力を得たのだ。
大樹寺は徳川家康の菩提寺だそうだ。
その山門からは3キロ先の岡崎城の天守閣が真っ直ぐに見られるように作られていて、いかに徳川家康の大樹寺に対する信仰が厚かったかを感じた。
何でも、今川義元が信長に殺害されたとき、義元の人質になっていた家康は、岡崎に逃げ帰り、自分も信長に殺害されると思って自害しようとしたらしい。それを大樹寺の住職が諫めて、その後の家康があったことなどから大樹寺に対する信仰を深めたと記されていた。
大樹寺は開放的で家康の先祖8代の墓所まで、誰もが入れる。
意外に慎ましい家康の先祖たちの墓石の前に立ったらば、馬鹿な裁判官たちの判断が歴史的に断罪されないはずはない!と思えて力が沸いて来た。
そこには後年、市民が建立した家康の墓も存在したが、その家康の墓石に触れながら、よしやるぜ!と思いながら帰って来た。
開放的な大樹寺は、本堂も解放していて家康に纏わる展示もあると知り、上がって見て帰ろうとしたらば、それは残念ながら時間切れで閉まってしまった。
惜しかった!