桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

梅祭り

2013-03-03 | Weblog



時間があったので偕楽園に来た。梅祭りが始まり、2回めの観梅デーのはずだったが、残念ながら、殆んど咲いていなかった。
それでも観光客は、かなりいて、布川事件の宣伝活動をした当時を、懐かしく思い出した。
梅が無いから、何だか判らない撮影会みたいなのが目に付いた。
連れ合いと千波湖を歩いて1周したが、手先が感覚を失うくらいに寒かった。
千波湖をネグラにする白鳥や黒鳥などは、人懐っこくて寄って来る。エサをあげる人もあるせいで、歩く俺たちにエサをねだるような鳴き声を出す白鳥がいたが、俺が「甘えるな、何時も貰えると思うな」と言ったらば、連れ合いが言った。「ほら、白鳥が言ってるよ、ハクチョウ者って」ですと。
水戸市にもユルキャラがいて、みとちゃん、と言うらしい。頭が水戸名物の納豆になってる。

こ汚い

2013-03-03 | Weblog

どういう文字かは判らないが、「こ汚い」と言うことがある。汚い、と言う言葉よりも、もっと巧妙な狡さを示すときに使う。

仙台地方検察庁が「高橋孝一、山口英幸、荒木百合子」の名前で提出した「仙台北陵クリニック事件」に付いての「意見書」を読んで思ったのが、検察庁と言うのは、本当に「こ汚い」連中が揃っていると思った。

弁護団が「警察の行った鑑定は間違い」とした「鑑定書」に付いて、反論した「意見書」は、科学鑑定のあれこれを、実に判り難く、判り難く書いているが、誰が行っても科学的な結果は1つしかない。あれこれの検察の弁明は、必ず恥知らずの弁明となるだろう。

俺は科学を知らないし、その検察の恥知らずを書かないが、恥知らずと判る部分がある。

この事件では、被害者の血液や尿を「全量を鑑定資料として使用した」と、検察は言って、弁護の求めた「再鑑定」を拒否した。

そもそも再鑑定できない証拠は、裁判では証拠してはならない。一人の鑑定では過ちがないとは言えないからだ。ましてや、証拠捏造が得意な日本の警察と検察だ。こんな連中と、その取り巻きが行う鑑定など、信用するのは犯罪に加担するのと同じことを意味する。

この30ページの「意見書」の24ページ部分からに、掟破りの弁明が現れる。「全量消費した資料に残滓を冷凍保存して、更に鑑定を行っていて弁護団の提出した鑑定と同じ結果を得ていた」と言うのだ。

この書き方が「こずるい」。

「鑑定資料の残滓ではなくて、鑑定に使用した後に残った試料の残滓だ」と言うのだ。

いやはや、巧いよねえ、この言い逃れ。資料ではなくて、試料ねえ。だから、今度は本当に残ってないよ!ってか。実に巧い!こんな言葉を編み出すために、この鑑定書に名前を出す高橋、山口、荒木の3検事は、検察官になったのだろうか。こ連中は、この意見書に名前を出して恥ずかしくないのだろうか。

犯罪者集団、検察庁に付ける薬はない。