スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

メルボルンカップ&拡充と侵害

2023-11-10 19:26:22 | 海外競馬
 7日にオーストラリアのフレミントン競馬場で行われたメルボルンカップGⅠ芝3200m。
 ブレークアップは16番手の外を追走。先頭からは15馬身ほどの差がありました。道中はほとんど動かずコーナーに入ってから差を詰めていきました。枠順の関係からずっと外を回っていたこともあり,直線の入口ではずらりと並んだ外から2頭目に。ここからは徐々に内に切れ込んでいくような形で伸びを欠き勝ち馬から14馬身4分の1ほどの差で16着でした。
 距離が延びることはプラスに作用しそうなので楽しみにしていたのですが,結果からみると力が足りなかったようです。枠順もコース取りも不利なものではありましたが,何より位置取りが後ろになってしまったことが大きく響いてしまったように思います。

 健常者が有している自然権jus naturaeを,障害者が新たに獲得するという場合は,それを権利の侵害であると表象するimaginari健常者が多くなることになります。これは第三部定理三六に合致するからです。あるいは健常者をひとりの人間,障害者をひとりの人間というように考えれば,第三部定理三二を援用することもできるでしょう。実際は健常者が有している権利であるとしても,障害者がその権利を新たに獲得するときに,それが障害者であるがゆえに享受することができるような権利であるとすれば,それはこの定理Propositioにおけるただひとりしか所有し得ない権利というのを,障害者だけが所有することができる権利と読み替えることで,この定理がそのまま成立することになるからです。たとえば,原子力発電所の事故で直接的な被害を受けた人が,被害を受けたということを理由として何らかの補償を受けるとき,そうした被害を受けていないがゆえにそうした補償を受けることができないために補償を受ける人を妬むということはあり得る,というか現にあるというべきですが,そうしたこともこの定理の帰結のひとつと考えることができます。この定理の直後の備考Scholiumでスピノザがいっているように,人間の現実的本性actualis essentiaというのは,不幸な人についてはそれを憐れむように,幸福である人に対してはそれを妬むようにできているのです。他面からいえば,僕たちは不幸であると表象している人はそのまま不幸であり続けることを望み,幸福であると表象している人に対してはその幸福が終わることを望むようになっているのです。
                                   
 実際には群衆multitudoの成員のだれかの自然権が拡充されることは,群衆の成員全体の自然権が拡充されるということであり,よってそれは群衆を構成する諸個人の自然権が拡充されるということなのです。ですからたとえば同性愛者の自然権が拡充されるのなら,それはその同性愛者が属する群衆の中の異性愛者の自然権も拡充されるということです。しかし実際には異性愛者は同性愛者の自然権の拡充を異性愛者の自然権の侵害であると表象するものなのであって,こうした事態は避けようがないといわなければなりません。こうしたことがすべての場合に妥当するのです。

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