スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯棋聖戦&第三部定理五三系

2024-06-07 19:04:59 | 将棋
 木更津で指された昨日の第95期棋聖戦五番勝負第一局。対戦成績は藤井聡太棋聖が1勝,山崎隆之八段が1勝。
 ホテル三日月の社長による振駒で山崎八段が先手となり相掛り。後手の藤井棋聖だけが飛車先の歩を交換する形になりました。
                                        
 先手はここから☗3三角成☖同銀と角を交換して☗7五歩と突きました。これは後手に☖7四歩と突かせないことによって桂馬を使わせないようにするという意図。
 後手は☖4四歩と突き☗8八銀と上がったときに☖4三銀と引きました。これが非凡な一手。先手は☗7七銀と上がりたいのですが☖5四角と打たれて困ります。なので☗2六飛と浮いて受けました。
                                        
 第2図となって先手が主導権を放棄したような形になり,作戦負けとなりました。第2図以下☖3一王☗6八玉としてから☖3五歩と飛車を目標にこれも非凡な攻めを見せ,後手の快勝となっています。
 藤井棋聖が先勝。第二局は17日に指される予定です。

 受動的な自己満足acquiescentia in se ipsoが危険であることを國分は次のように説明しています。
 第三部定理五三には系Corollariumがあります。まずそれをみておきましょう。
 「この喜びは人間がより多く他人から賞賛されることを表象するに従って,ますます強められる」。
 なぜこのようなことになるかといえば,賞賛lausをスピノザは感情affectusのひとつとして解していることと関連しています。ここでいわれている,あるいは同じことですが,スピノザがいう賞賛とは,我々を喜ばせようとするコナトゥスconatusの下になされた他人の行為を表象するimaginariときに我々が感じる喜びlaetitiaのことなのです。したがって,AがBに賞賛されるというのは,Bを喜ばせようとする行為をAがなしているとBが表象したときにBが感じる喜びです。よってBがAを賞賛しているとAが表象するときには,Bの賞賛の原因causaがA自身であるというようにAは認識するcognoscereことになります。つまりBはAを原因として伴った喜びを感じているというようにAは表象するのです。第三部定理二七により,AはBに対して感情の模倣affectum imitatioを起こすでしょう。いい換えればAはA自身を原因の観念ideaとして伴った喜びを感じることになるでしょう。つまりAはA自身の観念を伴ったそれだけ大なる喜びを感じることになるのです。つまり,もしもAがA自身の能力potentiaを観想するcontemplariことによって喜び,自己満足という喜びを感じているときに,その能力を賞賛されるということがAに生じるのであれば,Aの自己満足はそれだけ強められるということになります。
 ここでは表象されることを前提にこのようにいわれているわけですから,この能力の観想contemplatioというのが受動passioであるということが前提となっているのと同じことです。つまり,前もっていっておいたように,スピノザは理性ratioによる自己満足とか第三種の認識cognitio tertii generisから生じる自己満足は,人間が感じる最高の満足であるといっているわけですが,自己満足のすべてを肯定的に評価するわけではないのです。そしてこの文脈でスピノザが自己満足について語っているのは,構成の上での理由であると國分は指摘していたわけです。そしてスピノザが,受動的な自己満足を自己愛philautiaというのも,それが理由になっているといえます。
コメント
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