スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

デイリー盃ロジータ記念&方法論

2023-11-11 19:11:53 | 地方競馬
 岩手から1頭,金沢から1頭が遠征してきた8日の第34回ロジータ記念
                                        
 リコシェが逃げて2番手にメイドイットマム。3番手にマテリアルガール。その後ろはフークエンジェルとスギノプリンセスとミニアチュール。その後ろにエオリエンヌとショウガタップリ。3馬身ほど開いてソフィアクラウンとワイズゴールド。6馬身ほど離れた最後尾にダイアモンドモアで発馬後の向正面を通過。正面に入ってこの差は詰まっていきました。ミドルペース。
 2周目の向正面に入ったところでリコシェのリードは2馬身くらい。この後,メイドイットマムの外にマテリアルガールが上がってきて,後方のワイズゴールドが捲り上げてきたことでペースアップ。3コーナーではリコシェとメイドイットマムが併走になりました。その後のコーナーではメイドイットマムが先頭に出てその外にマテリアルガール。リコシェは後退してスギノプリンセスが上がってきました。直線に入るところでメイドイットマムが少し外に出たので,マテリアルガールはさらにその外になって,スギノプリンセスはメイドイットマムの内へ。さらにその内からフークエンジェルが追い上げてくる形に。メイドイットマムはここから2番手以下を離していって快勝。その内にいったスギノプリンセスが4馬身差で2着。直線の伸びをやや欠いたマテリアルガールが1馬身差で3着。フークエンジェルがクビ差の4着でマテリアルガールのさらに外から追い込んできたショウガタップリがクビ差で5着。
 優勝したメイドイットマム桜花賞以来の勝利で南関東重賞3勝目。その後の2戦は勝てなかったものの善戦。秋の初戦となったこのレースのトライアルはマテリアルガールの2着でしたが,そのときは57キロを背負っていましたので,逆転は可能とみていました。南関東での実績は断然でしたから,順当な優勝とみてよいかもしれません。ただすぐに古馬を相手にして通用するほどの記録は残していないようにも思えます。母の父はゼンノロブロイ。10代母がシュリリーで4代母がリンデンリリー。3代母の7つ下の半妹が2003年にフィリーズレビューを勝ったヤマカツリリー
 騎乗した船橋の本橋孝太騎手はブリリアントカップ以来の南関東重賞33勝目。ロジータ記念は初勝利。管理している船橋の石井勝男調教師は南関東重賞3勝目。ロジータ記念は初勝利。

 ここまでみてきたことから分かるように,僕が解する群衆multitudoの理論を政治論に適用する場合は,この方面でも注意が必要です。現実的に存在する人間は,論理的には自身の自然権jus naturaeが拡充しているのに,それを自然権の拡充と表象せず,むしろ自然権の侵害と表象するimaginariことがあるのであって,このことを無視して政治論を構築してしまうと,むしろ群衆間に亀裂を齎すことになりかねません。もしそのような事態が生じれば,国家Imperiumが有する力potentiaは減少するでしょうし,ひどい場合には国家の消滅を招くことすらあり得るでしょう。それは国家が有しているコナトゥスconatusに反するといわなければなりませんから,国家あるいは国家の統治権imperiumを有する者は,単に国家を構成する市民Civesの自然権を拡充させていけばよいというものではないのです。
 詳しい政治論には踏み込みませんが,政府が市民を統治する際に何が重要であるのかということは理解できたと思います。ひとつは群衆を構成する市民の自然権はほぼ同等であるということ,もうひとつは群衆を構成する成員の自然権が拡充するということは群衆全体の自然権が拡充するということであって,したがってそれは成員個々の自然権が拡充するということであるということを,市民の個々が見誤らないようにすること,いい換えればそれは真理veritasであるのですが,それが真理であるということを説明するだけでなく,表象imaginatioの上でもそうなるように仕向けていくことなのです。第四部定理一により,真理が真理であるというだけでは虚偽falsitasの中にある積極的なものは除去し得ないし発生することを妨害することもできません。つまり政治論というのも,何が真理であるのかということを説明すればよいというものなのではなく,発生を妨害できず,除去することもできないような虚偽に,どのように対応するべきなのかということが含まれていなければなりません。いい換えれば政治論というのは,単に政治理論だけで成立するものなのではなくて,人間の現実的本性actualis essentiaに根差した方法論を同時に必要としているのです。もしもその方法論が欠けてしまえば,その政治論は実践として用いることができないような空虚な理論であるといわなければなりません。

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