スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

藤井聡太はどこまで強くなるのか&ふたつの意味

2024-06-22 20:36:18 | 将棋トピック
 『藤井聡太論 将棋の未来』を書いた谷川浩司が翌年に出版した藤井論が『藤井聡太はどこまで強くなるのか』です。こちらも前のものと同じく,講談社+@新書から出版されました。翌年といいましたが,前のものが2021年5月の出版で,こちらは2023年1月です。僕が翌年といったのは,谷川によるあとがきが,前者は2021年4月で後者は2022年12月になっているからです。
                                        
 こちらの本の副題は「名人への道」です。つまり藤井はまだ名人は獲得していません。このときは竜王,王位,叡王,王将,棋聖の五冠でした。順位戦はA級で,この後に挑戦者決定戦を制して挑戦権を獲得。名人を奪取することになるのはご承知の通り。名人奪取の前に棋王を獲得し,名人を奪取した後には王座も獲得。先日叡王を失陥しましたが,全冠制覇を達成しました。
 副題から分かるように,この本は名人戦に焦点を当てています。谷川は藤井が名人を獲得するまで,最年少で名人を獲得した棋士でした。この本が書かれている頃は藤井はA級で名人への挑戦権を争っていて,挑戦者になる可能性がありました。もしも挑戦して名人を奪取すると,谷川の最年少記録が更新されることになります。そういう時期であったからこそこうしたものが書かれる意義があったといえるでしょう。もちろん名人戦に焦点を当てているということは,谷川自身が戦った名人戦のことも書かれていますし,谷川以前の名人戦のこと,また谷川と藤井の間のことについても書かれています。
 一方,タイトルから分かるようにこれは藤井聡太論でもあります。ですから藤井はまだ名人にはなってなかったわけですが,藤井についても多くのことが書かれています。2021年4月に藤井聡太論を書き終えて,2022年12月にこちらが書き終わっているわけですから,谷川の藤井に対する見方が大きく変わっているわけではありませんが,いくらかの変化があります。また,第四章では藤井に勝つための戦略という観点からの記述があり,こちらは藤井に対抗しようとする棋士に焦点を当てたものとなっています。

 スピノザは書簡五十の冒頭で,ホッブズThomas Hobbesの国家論と自身の国家論の相違について,自然権jus naturaeという観点から説明していました。それは具体的には,ホッブズは自然権を国家Imperiumのうちにそのまま残していないけれど,スピノザはそれをそっくりそのまま残しているということです。自然権をそっくりそのまま国家においても残すということが何を意味しているのかということは,ここまでの國分の説明から明瞭になるでしょう。それは,自然権は人間に与えられている力potentiaと過不足なく重複しているので,国家においてもそれ自体でそれを制限することはできないし,それ以上のことを要求することもできないということです。つまりここにはふたつの意味が含まれているといえるでしょう。過不足ない力を不足させることもできないし増大させることもできないというふたつの意味です。
 たとえば陸の上を自由に歩き回ることができるひとりの人間と,水中を自由自在に泳ぎ回ることができる一匹の魚がいると仮定しましょう。社会societasの法lex制度は,その人間が歩き回る力をそれ自体で制限することはできません。もちろんそれを罰するということはできますし,一方でこの人間はそういう力を自然権として与えられているからといって常に歩き回るというものではありません。しかしこの力が与えられているのであれば,その力自体を制限することができないのです。また,この人間が魚のように自由に水中を泳ぎ回るような力を付与することはできません。法制度がそういう権利をその人間に与えるということは論理上はできますが,現実的にそのような力を与えることはできません。したがって,もしそうした権利を行使するようにその人間に要求するとすれば,それは無理なことを要求していることになります。なのでそうしたことを要求することは現実的にはできないということになります。
 ここではひとりの人間が陸の上を自由に歩き回ることができるという仮定で説明しましたが,現実的に存在する人間に与えられている力すなわち自然権は,いうまでもなくこれだけに留まるものではありません。そうしたすべての自然権あるいは力に,ここで説明したことがすべて妥当するのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする