スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

返信&強い決意

2024-03-17 19:42:38 | 哲学
 オルデンブルクHeinrich Ordenburgはスピノザの外見を知っていたのですから,少なくともスピノザがユダヤ人であるということは分かっていたのです。その上で書簡三十三では,ユダヤ人の帰還に関して聞いていることと,そのこと自体に関するスピノザの考えを尋ね,とくにアムステルダムAmsterdamのユダヤ人がこのことについて何を聞き,どう受け止めているのかを知りたくてたまらないといっています。スピノザがユダヤ人であるということをオルデンブルクは知っていたということを踏まえれば,オルデンブルクは当事者であるユダヤ人としてのスピノザの考えを知りたかったのでしょうし,当事者であるユダヤ人としてスピノザが聞き及んでいることを知りたくてたまらないといっていると解するべきなのではないかと僕は思います。しかし一方で,スピノザはユダヤ人であるにしても,アムステルダムのユダヤ人共同体から追放されていることをオルデンブルクは知っていた可能性がきわめて高いと僕には思えますので,この質問はいかにも不自然なものに僕には感じられるのです。
                                        
 この書簡の返信は遺稿集Opera Posthumaには掲載されていません。書簡三十三はユダヤ人の帰還だけを問うたものではありませんから,スピノザが返事をしなかったというようには僕には思えません。そしてスピノザは自分の書いた書簡についてはそのすべてを保管していたのですから,その返信の原稿もあったのではないかと推測されます。したがってそれが遺稿集に掲載されなかったのは,編集者たちが何らかの理由で掲載しなかったからではないかと思うのですが,仮にそうであったとしたら,その理由がどのあたりにあったのかというのは不明です。そもそも書簡三十三は遺稿集に掲載されたのですから,その返信を掲載しないというのは不自然すぎるようにも思えます。となると,そもそもスピノザが返信を書かなかったということになるのですが,そうするとオルデンブルクのほかの書簡には返事を書いているスピノザが,なぜこの書簡に限っては返事を書かなかったのかという疑問が生じることになります。
 スピノザが返事を書かなかったにせよ,僕が推定するように編集者たちが遺稿集への掲載を見送ったにせよ,何らかの理由があったのには間違いありません。何かそのヒントとなるものがほしいと僕は強く思っています。

 スピノザの哲学に狂気の居場所が残されているのは,直接的にはデカルトRené Descartesの哲学に対する批判であるといえるでしょう。しかし,現代社会のオペレーションシステムは,デカルトの創作したオペレーションシステムになっているということに注意を払えば,それは単にデカルトに対してだけ通用するものであるというわけではなく,現代社会を生きる僕たちに対しても向けられている批判であるといえます。つまりそれは,現代の僕たちの,理性への過信に対する警鐘であるといえるのであって,僕たちはその観点からスピノザの注意喚起を理解するのがよいと僕は考えます。
 僕たちはもしかしたら理性ratioによってすべての狂気を払拭した,あるいは払拭していると思い込んでいるかもしれません。しかし実際はそうではないのであって,第四部定理四および第四部定理四系の文脈から,人間というのは現実的に生きている限りは常に狂気に晒されているのであって,現に狂気を孕みながら生きているということになるのです。もしもそのことに気付かなければ,僕たちは容易に自身の狂気を自身の理性と勘違いしてしまうでしょう。狂気と共に生きている人間が現に存在していると感じることはあるかもしれませんが,そのように感じる人は,往々にして自分はそうではないと思い込んでいるものです。しかし実際には,現実的に生きている人間は多かれ少なかれ狂気と共に生きているのであって,それに例外はありません。そしてそのことを思えば,理性によって真理veritasを探求しようとするときに,強い決意decretumを必要とするのは,デカルトやスピノザの時代だけでなく,現代においても同様であるといえます。むしろ現代の方が,そうした決意が必要とされるのかもしれません。デカルトやスピノザの時代は,理性が確たる地位を築いていなかったがゆえに,真理の探究のためには強い決意が必要とされたのでした。それに対していえば,現代は理性の地位があまりにも確立され過ぎてしまったがために,真理を探究するために強い決意が必要とされるようになったといえるのではないでしょうか。
 フーコーMichel Foucaultの『狂気の歴史Histoire de la folie à l'âge classique』に関連する論考はこれだけです。次の考察に移ることにします。
コメント
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