スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

花と海といで湯賞&真理獲得の過程

2024-03-18 19:07:11 | 競輪
 伊東温泉競輪場で行われた昨晩の花と海といで湯賞の決勝。並びは吉田‐雨谷‐神山の茨城栃木,道場‐岩本‐岡村‐萩原の南関東,川口‐井上の西日本。
 スタートを取りにいったのは岡村と雨谷。雨谷が誘導の後ろに入れそうだったのですが,内の岡村に譲って道場の前受け。5番手に吉田,8番手に川口で周回。残り3周のホームから川口が上昇していったのですが,誘導との車間を開けていた道場がうまく牽制しつつ突っ張りました。川口は引くことになり,周回中と同じ隊列の一列棒状に戻りました。残り2周からは道場が全力で駆けていき,そのまま打鐘から最終周回のホームも過ぎ,バックに戻りました。ここから岩本が番手捲りを敢行。4番手に続いていた吉田が捲りに出ました。岩本は直線でも後ろを離していくような形となって楽勝。岩本マークの岡村が1車身半差の2着に残って南関東のワンツー。捲り追い込んだ吉田が半車輪差の3着。
 優勝した千葉の岩本俊介選手は前回出走の京王閣のFⅠを完全優勝していて,2開催連続での完全優勝。GⅢは一昨年12月の松戸記念以来となる5勝目。このレースは脚力では岩本と吉田が上位。ただ岩本は道場の番手で,道場は先行意欲が高そうなので,岩本の方が有利だろうと思っていました。その展開予想通りのレースになりましたので,楽勝になったのも当然。前受けさせてしまえば突っ張られてしまうでしょうから,雨谷は誘導の後ろに入れたのであれば入った方がよかったのではないかと思います。

 『スピノザー読む人の肖像』のフーコーMichel Foucaultについて触れられた部分の少し後で,真理獲得の方法についての説明がなされている部分があります。この方法論自体は『スピノザの方法』の主要テーマのひとつですから,そのことについてここで考察することはしません。ただこの部分では,スピノザが真理veritasを獲得する方法というのを入手するための過程について簡潔にまとめられています。これはとても役立つことだと思いますので,ここで紹介するとともに,いくらかの補足を加えておくことにします。
                                        
 これは当然のことではあるのですが,まず踏まえておかなければならないのは,真理をいかにして獲得していくのかという問いは,スピノザの哲学に特有の問いではありません。これはおおよそ哲学一般に共通する問題です。デカルトRené Descartesの方法論的懐疑doute méthodiqueというのはまさにそうした方法をデカルトの仕方で示したものなのであって,少なくとも哲学が真理を探求しようとするためには,前もって解決されておかなければならない事柄であるといえます。一般的に考えて,真理でないこと,いい換えれば虚偽falsitasを獲得することを目指す哲学があるわけはないのであって,哲学はそれが哲学である限りでは真理を獲得することを目指します。しかし,何らかの事柄を獲得したとき,つまり哲学者の知性intellectusがある事柄を認識したとき,それが真理であるか否かが分からないのであるとすれば,真理を獲得するということは初めから無理であるといわなければなりません。したがってその認識cognitioが真理であるのかそれとも虚偽であるかという規準が前もって哲学者の知性のうちにあるのでなければ,その哲学者は真理を知ることができませんし,真理獲得の方法を示すこともできないでしょう。したがって,真理獲得の方法を示そうとするのであれば,哲学者が認識したことが,真理であるのか虚偽であるのかを判定する規準があるのでなければなりません。これは真理の標識とか真理のしるしsignumといわれるものです。ある認識すなわち観念ideaが,真理であることを示すしるしがあるのなら,そのしるしを有する観念は真理であり,そのしるしを有さない観念は虚偽であるということになり,その条件を満たせます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする