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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

JBC協会賞農林水産大臣賞典スポーツニッポン杯ブリーダーズゴールドカップ&理性の現実性

2022-08-12 19:18:00 | 地方競馬
 昨晩の第34回ブリーダーズゴールドカップ
 主張したノットイェットの逃げになり,リードは3馬身。2番手にハギノリュクスで3番手にキムケンドリーム。2馬身差でグランブリッジ。5番手にニーズヘッグ。6番手はテリオスベルとネーロルチェンテの併走。2馬身差でクレモナ。9番手にプリティーチャンス。8馬身くらい離れてサルサレイア。11番手にバブルガムダンサー。4馬身差の最後尾にソーディスイズラヴという縦長の隊列。ハイペースでした。
 逃げたノットイェットは3コーナーで一杯。ここからハギノリュクスとグランブリッジが雁行となり,外からテリオスベルが追い上げてきました。直線に入るとハギノリュクスも一杯になってグランブリッジが単独の先頭に。テリオスベルは追いつくことができず,その外から伸びてきたプリティーチャンスがグランブリッジに迫ったものの届かず,優勝はグランブリッジ。プリティーチャンスがクビ差で2着。テリオスベルが3馬身差で3着。
 優勝したグランブリッジは前走の関東オークスからの連勝で重賞2勝目。このレースは上位3頭の力がほかの馬より上位と目されましたので,順当な決着。全体のレベルが高かったというわけではありませんが,3歳馬がこの時期にダートのこの距離で古馬を相手に重賞を勝つというのは大変なこと。とりわけ斤量面では不利な関係にありましたのでなおさらです。その点は高く評価するべきで,この路線でトップクラスまでいく可能性を大いに秘めているといえそうです。母の父はダイワメジャービューチフルドリーマーワールドハヤブサの分枝で4代母がJRA賞(優駿賞)で1981年の最優秀2歳牝馬,1982年の最優秀3歳牝馬に選出されたビクトリアクラウン
 騎乗した福永祐一騎手と管理している新谷功一調教師はブリーダーズゴールドカップ初勝利。

 スピノザの哲学における理性ratioは,一般的な合理性の構築や統制を行うポジションを前もって確立しているわけではありません。現実的に存在する各々の人間が,個別的に行使する思惟作用です。つまり単独的な思惟作用であり,かつ一回性の思惟作用であるということになります。
 このことは,可能的なものがあるということを認めず,現実的なものだけがあるとするスピノザの姿勢と関係します。すなわち,人間には理性があるというとき,それは行使することが可能な思惟作用として潜在的に人間のうちに理性があるということを,スピノザの哲学では意味しません。実際にある人間が理性を行使するときに,その人間には理性があるといわれるのです。したがってその同じ人間が別のときに受動感情に隷属するときには,その人間には理性があるというのは誤りで,むしろその人間には理性がないといういい方の方が正しいことになるのです。
                                        
 浅野はこのことを,スピノザの哲学における理性は,支配の起点としてあるというのではなく,理性が有している統御的な側面からのみ理性を捉えるという考え方をスピノザが有していたことを意味しているといっています。このいい方は,ここでの僕の考察とだけ関連付けると分かりにくいかもしれませんが,浅野はこの部分の主題となっているバーリンIsaiah Berlinの思想と関連付けるためにこのようにいっているのであって,基本的に理性が可能的なものではなく現実的なものであるといっているのと大差ないと理解してください。浅野のいっていることの真意を説明するためにはバーリンの思想に踏み込まなければなりませんが,前もっていっておいたように,僕はここではそれに触れることはしません。また,浅野のこの部分の考察は,『エチカ』ではなく『国家論Tractatus Politicus』等の他の著作からの引用が多くなっています。なので僕もそれに応じてスピノザの哲学における自由論を論じてきましたが,このことも実は浅野のこの部分の主題がバーリンの思想であるという点と関係しています。浅野はバーリンはスピノザを『エチカ』だけで理解しようとしていて,それが誤りであるという考えをもっているのです。ただしそれについても僕はここでは触れません。
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