富山記念の決勝。並びは吉沢‐宿口‐平原の関東に和田,山口‐竹内の岐阜,松浦‐小倉の中四国で荒井は単騎。
平原と山口がスタートを取りにいき,誘導の後ろに入ったのは平原。吉沢の前受けになり,上昇してきた荒井が5番手。譲った山口が6番手で8番手から松浦という隊列。残り3周のホームから松浦が竹内との車間を開け始めました。バックに入ると吉沢も誘導との間隔を開けて待ち受けましたが,松浦が一気に上昇して,誘導が退避したコーナーで吉沢を叩いて前に。ホームに入ると山口が発進。松浦を叩いてそのまま先行。3番手に松浦,5番手に吉沢,最後尾に荒井という一列棒状の隊列で打鐘。ホームに入ると竹内が番手捲りを敢行。巻き返していった吉沢は不発。竹内に乗ることになった松浦がバックで発進。自力に転じた宿口は小倉の牽制で失速。直線は抜け出した松浦に,宿口の後ろから追ってきた平原が迫りましたが,わずかに届かず,優勝は松浦。平原がタイヤ差で2着。最終コーナーから内を回り,竹内と松浦の間に進路を取った和田が4分の3車身差で3着。最後尾からの捲り追い込みになった大外の荒井が4分の1車輪差の4着で松浦マークの小倉は半車輪差で5着。
優勝した広島の松浦悠士選手は先月のサマーナイトフェスティバル以来の優勝。記念競輪は4月の川崎記念以来で16勝目。富山記念は2019年以来となる3年ぶりの2勝目。このレースは関東勢の二段駆けがありそうで,それを松浦が捲れるかというのが最大の焦点だとみていました。ところが前受けした関東勢が突っ張ることができない形になったため,山口の先行となり,しかも竹内が二段駆けという予想外の展開に。松浦は竹内マークのようなレースになりましたので,結果的に展開有利になりました。これは松浦が周回中は後方を選択し,吉沢を一気に抑えにいったためといえ,作戦勝ちとみてもよいのではないでしょうか。関東勢は失敗になったといえるかもしれませんが,それぞれの選手が持ち味を出したよいレースだったと思います。
君主制を例としたのは,理解が容易であるからであり,こうしたことが君主制だけに妥当するとは僕は考えていません。貴族制であれ民主制であれ,同じことが成立すると僕は考えています。浅野はこのことに関連して,スピノザは,主権の命令と主権の決断とは異なるということをスピノザはよく理解していた,これは逆にいえば,ホッブズThomas Hobbesはそのことに自覚的ではなかったということになりますが,そのようないい方で表現しているのでした。この,決断と命令の相違ということの要諦は,浅野はそのようにはいっていませんが,僕の見解opinioでは君主制だけでなく貴族制でも民主制でも妥当するのです。他面からいえば,この決断と命令の相違は,主権にだけに特有の事象というわけではなく,民衆にも該当する事象なのだと僕は考えています。しかしこの私見については後に詳しく説明することにして,浅野の主張をもう少しみていくことにします。
たとえ君主制という政治体制であっても,君主が民衆に対して命令を下すだけでは,その存続が危うくなります。いい換えれば君主は民衆の欲望cupiditasをすくい上げるような決断をする必要があるのです。このとき,決断というのはその都度の決断というのを意味します。というのは,君主があるひとつの決断をしたとすれば,その決断によってまたすくい上げるべき民衆の欲望が発生し,そのためにまた別の決断が必要になり,その決断によってまた民衆の新たな欲望が喚起されるといった具合に,この関係は延々と続いていくものだからです。したがって,君主は民衆を無視して自分勝手に振る舞えばよいというものではなく,民衆との相互のコミュニケーションが必要なのです。
ネグリAntonio Negriの項の考察でいっておいたように,スピノザは基本的に政治的決定に関与する人間の数が多ければ多いほどよいという考えを有していました。君主制という政治体制において,君主ひとりが政治的権力を保持してそれを行使するよりも,補佐役のような人間が何人かいて,その補佐役が定期的に入れ替わるのが望ましいとされているのは,この,君主あるいは主権と民衆の間での相互のコミュニケーションが必要だということとも関係しているといえます。
平原と山口がスタートを取りにいき,誘導の後ろに入ったのは平原。吉沢の前受けになり,上昇してきた荒井が5番手。譲った山口が6番手で8番手から松浦という隊列。残り3周のホームから松浦が竹内との車間を開け始めました。バックに入ると吉沢も誘導との間隔を開けて待ち受けましたが,松浦が一気に上昇して,誘導が退避したコーナーで吉沢を叩いて前に。ホームに入ると山口が発進。松浦を叩いてそのまま先行。3番手に松浦,5番手に吉沢,最後尾に荒井という一列棒状の隊列で打鐘。ホームに入ると竹内が番手捲りを敢行。巻き返していった吉沢は不発。竹内に乗ることになった松浦がバックで発進。自力に転じた宿口は小倉の牽制で失速。直線は抜け出した松浦に,宿口の後ろから追ってきた平原が迫りましたが,わずかに届かず,優勝は松浦。平原がタイヤ差で2着。最終コーナーから内を回り,竹内と松浦の間に進路を取った和田が4分の3車身差で3着。最後尾からの捲り追い込みになった大外の荒井が4分の1車輪差の4着で松浦マークの小倉は半車輪差で5着。
優勝した広島の松浦悠士選手は先月のサマーナイトフェスティバル以来の優勝。記念競輪は4月の川崎記念以来で16勝目。富山記念は2019年以来となる3年ぶりの2勝目。このレースは関東勢の二段駆けがありそうで,それを松浦が捲れるかというのが最大の焦点だとみていました。ところが前受けした関東勢が突っ張ることができない形になったため,山口の先行となり,しかも竹内が二段駆けという予想外の展開に。松浦は竹内マークのようなレースになりましたので,結果的に展開有利になりました。これは松浦が周回中は後方を選択し,吉沢を一気に抑えにいったためといえ,作戦勝ちとみてもよいのではないでしょうか。関東勢は失敗になったといえるかもしれませんが,それぞれの選手が持ち味を出したよいレースだったと思います。
君主制を例としたのは,理解が容易であるからであり,こうしたことが君主制だけに妥当するとは僕は考えていません。貴族制であれ民主制であれ,同じことが成立すると僕は考えています。浅野はこのことに関連して,スピノザは,主権の命令と主権の決断とは異なるということをスピノザはよく理解していた,これは逆にいえば,ホッブズThomas Hobbesはそのことに自覚的ではなかったということになりますが,そのようないい方で表現しているのでした。この,決断と命令の相違ということの要諦は,浅野はそのようにはいっていませんが,僕の見解opinioでは君主制だけでなく貴族制でも民主制でも妥当するのです。他面からいえば,この決断と命令の相違は,主権にだけに特有の事象というわけではなく,民衆にも該当する事象なのだと僕は考えています。しかしこの私見については後に詳しく説明することにして,浅野の主張をもう少しみていくことにします。
たとえ君主制という政治体制であっても,君主が民衆に対して命令を下すだけでは,その存続が危うくなります。いい換えれば君主は民衆の欲望cupiditasをすくい上げるような決断をする必要があるのです。このとき,決断というのはその都度の決断というのを意味します。というのは,君主があるひとつの決断をしたとすれば,その決断によってまたすくい上げるべき民衆の欲望が発生し,そのためにまた別の決断が必要になり,その決断によってまた民衆の新たな欲望が喚起されるといった具合に,この関係は延々と続いていくものだからです。したがって,君主は民衆を無視して自分勝手に振る舞えばよいというものではなく,民衆との相互のコミュニケーションが必要なのです。
ネグリAntonio Negriの項の考察でいっておいたように,スピノザは基本的に政治的決定に関与する人間の数が多ければ多いほどよいという考えを有していました。君主制という政治体制において,君主ひとりが政治的権力を保持してそれを行使するよりも,補佐役のような人間が何人かいて,その補佐役が定期的に入れ替わるのが望ましいとされているのは,この,君主あるいは主権と民衆の間での相互のコミュニケーションが必要だということとも関係しているといえます。