昨日の第35期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第二局。
広瀬章人八段の先手で後手の山崎隆之八段のノーマル四間飛車。先手の居飛車穴熊という戦型になりました。互角の中盤が長々と続いて第1図。
ここで後手が☖8四角と逃げると先手にはふたつの手段があります。
ひとつは☗7一歩成☖同飛☗8三銀成です。
第2図になれば先手は角は取れそうです。ただ第2図で☖7七歩と打つ手があり,先手はその攻めを受け切らなければなりません。
それが無理なら☖8四角には☗8五銀です。この場合は☖9三角☗9四銀☖8四角☗8五銀の手順で千日手に進むでしょう。
実戦は第1図で☖7五角と逃げたので,☗7一歩成☖同飛☗7六歩と進み,角と銀の交換になりました。ただこの順は先手に分があったようです。ですから第1図では後手は☖8四角と逃げ,千日手でも構わないという姿勢で指すべきだったようです。
連勝で広瀬八段が挑戦権を獲得。竜王戦七番勝負には第32期以来の出場。第一局は10月7日と8日に指される予定です。
現実的にそうしたことが可能であるかは別として,もし君主がひとりですべてを決定するdeterminareとすれば,その決定determinatioが民衆の欲望cupiditasをすくい上げるのは困難になるでしょう。したがってそこで行われるのは,君主の命令であって,君主の決断ではないことになります。なるべく多くの補佐官が存在することによって,民衆の欲望を反映するような無数の決定の可能性が開かれていき,ひとつの事象に対して多くの問いが検討に付されるようになるでしょう。最終的にはそうした補佐官の意見opinioのうちのひとつを君主が選択するとしても,補佐官の総意に対しては君主は反対することはできません。つまり補佐官たちの諸々の意見のうちのどれかを選ぶ権利jusを君主は持っているとしても,補佐官たちの意向に反する決定をするとか,反する意見を述べるというような権利は君主には与えられないという状況が,あるべき君主制の姿であるということになるでしょう。
ここまでのことを踏まえると,スピノザが民主制が最善の制度であると考えていたことがなぜなのかということが理解できるでしょう。少数者が支配するような政治体制より,多くの人びとが討議や協議を積極的に行う政治システムの方が,民衆の欲望をより多くすくい上げるのには有効だからです。いい換えれば,主権が命令を下すということをしにくく,決断を下すということをしやすくなる政治体制は,君主制や貴族制よりも民主制であるからです。
ここからは僕の私見になるのですが,このときに重要なのは,民主制であれば主権が決断を下すようになるというわけではないということなのです。いい換えれば,主権者が民衆であるからといって,民衆が決断を下すということが現実的になるというわけではないのです。僕は前に,命令と決断の相違というのは,主権にだけ与えられた事象なのではなく,民衆にも与えられた事象であるといいました。このことはとくに民主制において妥当するといえます。というのは,君主制とか貴族制においては,政治的な権限が何も与えられていないような民衆というのが現に存在するわけで,そうした民衆は純粋に被支配者であることになります。しかし民主制ではそうではありません。
広瀬章人八段の先手で後手の山崎隆之八段のノーマル四間飛車。先手の居飛車穴熊という戦型になりました。互角の中盤が長々と続いて第1図。
ここで後手が☖8四角と逃げると先手にはふたつの手段があります。
ひとつは☗7一歩成☖同飛☗8三銀成です。
第2図になれば先手は角は取れそうです。ただ第2図で☖7七歩と打つ手があり,先手はその攻めを受け切らなければなりません。
それが無理なら☖8四角には☗8五銀です。この場合は☖9三角☗9四銀☖8四角☗8五銀の手順で千日手に進むでしょう。
実戦は第1図で☖7五角と逃げたので,☗7一歩成☖同飛☗7六歩と進み,角と銀の交換になりました。ただこの順は先手に分があったようです。ですから第1図では後手は☖8四角と逃げ,千日手でも構わないという姿勢で指すべきだったようです。
連勝で広瀬八段が挑戦権を獲得。竜王戦七番勝負には第32期以来の出場。第一局は10月7日と8日に指される予定です。
現実的にそうしたことが可能であるかは別として,もし君主がひとりですべてを決定するdeterminareとすれば,その決定determinatioが民衆の欲望cupiditasをすくい上げるのは困難になるでしょう。したがってそこで行われるのは,君主の命令であって,君主の決断ではないことになります。なるべく多くの補佐官が存在することによって,民衆の欲望を反映するような無数の決定の可能性が開かれていき,ひとつの事象に対して多くの問いが検討に付されるようになるでしょう。最終的にはそうした補佐官の意見opinioのうちのひとつを君主が選択するとしても,補佐官の総意に対しては君主は反対することはできません。つまり補佐官たちの諸々の意見のうちのどれかを選ぶ権利jusを君主は持っているとしても,補佐官たちの意向に反する決定をするとか,反する意見を述べるというような権利は君主には与えられないという状況が,あるべき君主制の姿であるということになるでしょう。
ここまでのことを踏まえると,スピノザが民主制が最善の制度であると考えていたことがなぜなのかということが理解できるでしょう。少数者が支配するような政治体制より,多くの人びとが討議や協議を積極的に行う政治システムの方が,民衆の欲望をより多くすくい上げるのには有効だからです。いい換えれば,主権が命令を下すということをしにくく,決断を下すということをしやすくなる政治体制は,君主制や貴族制よりも民主制であるからです。
ここからは僕の私見になるのですが,このときに重要なのは,民主制であれば主権が決断を下すようになるというわけではないということなのです。いい換えれば,主権者が民衆であるからといって,民衆が決断を下すということが現実的になるというわけではないのです。僕は前に,命令と決断の相違というのは,主権にだけ与えられた事象なのではなく,民衆にも与えられた事象であるといいました。このことはとくに民主制において妥当するといえます。というのは,君主制とか貴族制においては,政治的な権限が何も与えられていないような民衆というのが現に存在するわけで,そうした民衆は純粋に被支配者であることになります。しかし民主制ではそうではありません。