スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

判定の要素&ホッブズの政治論

2022-08-14 19:11:10 | 哲学
 スピノザは第四部序言で,完全と不完全は思惟の様態cogitandi modiにすぎないといっています。しかし同時に,完全性perfectioを実在性realitasと等置します。ここには不条理が含まれているようにみえます。なぜスピノザがこれらは両立すると考えたのかをみていきます。このためには,完全とか不完全というのが,比較上の概念notioであるという点を前提しておいてください。すなわち,もしも僕たちがあるひとつのものだけを表象するimaginariとするなら,そのものについて完全であるとも不完全であるとも認識するcognoscereことはできません。僕たちは複数のものを表象することによって,そのうちの一方は完全で他方は不完全であるというように認識するのです。いい換えれば,完全とか不完全というのが思惟の様態であるということのうちに,あるものを完全と認識しまたほかのものを不完全と認識することが,あるものがほかのものと比較されるがゆえに生じるということが含まれているのです。
                                   
 自然Naturaのうちには無限に多くのinfinitaものが現実的に存在します。したがってそれらのものについてそのすべてを完全と認識しまた不完全と認識するためには,すべてのものに共通するようなある要素が要求されます。すべてのものに共通する要素に還元することができないのならば,すべてのものについて完全であるとも不完全であるとも認識することができないからです。いい換えれば,完全なものもあれば不完全なものもあるが,完全とも不完全ともいうことができないものがあるというように認識されることになるでしょう。しかし僕たちはどんなものについてもそれが完全か不完全かを認識することができなければ概念になりませんから,それをいうことはできません。つまりどんなものについてもそれを完全であるか不完全であるかを判定できるような要素が存在することになります。
 自然におけるすべてのものに帰せられる概念としては有esseがあります。つまり有というすべてのものに共通する単一の概念に還元されることによって,スピノザはあらゆるものの完全性あるいは不完全性が認識されることになるとみているのです。

 スピノザの哲学における自由論の考察,すなわち『スピノザ〈触発の思考〉』の第5章に関連する考察はこれで終了です。続いて第6章に関連する考察を開始します。
 第6章はシュミットCarl Schmittに関連する考察で,この中に,スピノザの政治論とホッブズThomas Hobbesの政治論の相違に関係する論述が含まれています。僕の考察の対象はその部分に集中します。
 シュミットによれば,ホッブズは政治論を展開する上で,デカルトRené Descartesの哲学を応用していました。おそらくホッブズはそうした意図をもっていたとは僕は思いませんが,ホッブズの政治学に形而上学を求めるとすれば,それがデカルトの哲学になるという点に関しては,僕は理解することができます。いい換えれば僕はそのシュミットの主張に関しては肯定します。もっとも,僕はシュミットがそのようにいっていることを知っているわけではありません。シュミットがそのような主張をしているというのは,浅野の理解である点には注意しておいてください。
 ホッブズの政治論の形而上学的部分を担うことになるデカルトの哲学は,人間の精神mens humanaと人間の身体humanum corpusは別個の実体substantiaであるという点です。ただしこれはスピノザの哲学との相違をいう場合は不確実な指摘になります。なぜなら,スピノザは人間の精神も人間の身体も実体であると認めず,様態modiであるといいますが,人間の精神は思惟の属性Cogitationis attributumの様態で,人間の身体は延長の属性Extensionis attributumの様態です。このとき,思惟の属性が思惟的実体を意味するのであって,延長の属性は物体的実体substantia corporeaを意味します。ですから人間の精神と人間の身体は,別の属性,別の実体に属する様態です。この点でいえば,デカルトが主張していることとスピノザが主張していることの間に,それらが実体であるか様態であるかという点以外に大きな相違はありません。もしも人間の精神と人間の身体の区別distinguereがいかなる区別であるかという点に着目するなら,デカルトの哲学であろうとスピノザの哲学であろうと,それらは様態的にmodaliter区別されるのではなく実在的にrealiter区別されるのであるという結論になるからです。そして,人間の身体と人間の精神が実体であるか様態であるかということは,ホッブズの政治学には関係ないのです。
コメント
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