スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典サマーチャンピオン&第三種の認識の発生

2021-09-02 19:00:46 | 地方競馬
 昨日の第21回サマーチャンピオン。丸山元気騎手に新型コロナウイルスの陽性の判定が出たため,8月28日と29日のいずれかに新潟競馬場で騎乗していた騎手は,感染拡大防止の観点から調教も含めて昨日の騎乗を中止。このためにサクセスエナジーは松山騎手から倉富騎手に,ラプタスは幸騎手から鮫島克也騎手に,イメルは福永騎手から飛田騎手に変更。
 ラプタスがハナへ。2番手以下はイメル,コパノキッキング,サクセスエナジー,ハッピーハッピーの順。ここから大きく離れてエイシンテキサスとフォークローバーとテイエムノサッタ。2馬身差でオイカケマショウとエルプシャフトという隊列。向正面に入ると前の3頭が後ろを離し,外に持ち出したサクセスエナジーが追撃を開始。前半の600mは36秒3のミドルペース。
 3コーナーからラプタス,イメル,コパノキッキングの3頭は雁行。直線の入口までこの隊形でしたが,逃げたラプタスには余裕があり,直線に入るとその2頭を置き去りにして独走。楽々と逃げ切って優勝。直線は開いた内に進路を取ったサクセスエナジーが,コパノキッキングを内から差して7馬身差の2着。コパノキッキングがクビ差の3着で,コパノキッキングに競り負けたイメルが半馬身差で4着。
 優勝したラプタスかきつばた記念以来のレースで重賞4勝目。こんなに差をつけて勝てるほどの能力差があったとは思いませんが,楽なペースで逃げることができたため,これだけの圧勝になったというところでしょう。今年のJBCスプリントは1400mで行われることになっていますから,この距離を最も得意とするこの馬にとっては大レース制覇の大きなチャンスとなりそうです。父はディープブリランテ。5代母がファーストアクトとバウンドトゥダンスの祖母にあたる同一牝系。Raptusは衝動。
 騎乗した佐賀の鮫島克也騎手はデビューから41年11ヵ月で重賞初勝利。管理している松永昌博調教師はサマーチャンピオン初勝利。

 第五部定理二八でいわれている欲望cupiditasは,第三部諸感情の定義一でいわれている,働きを受けるpati限りでの人間の現実的本性actualis essentiaと異なりますが,それが理性ratioから発生する欲望であるがゆえに,現実的本性と解すること自体が誤りであるわけではないことは間違いありません。
                                   
 このことはさらに,この定理Propositioの中で,スピノザが欲望を努力conatus,すなわちコナトゥスconatusと等置していることからも明らかだといえます。なぜなら,第三部定理七により,コナトゥスというのはものの現実的本性です。当然ながら人間はそうしたもののひとつとして現実的に存在するわけですから,たとえばAという人間が現実的に存在するとき,Aの現実的本性とAのコナトゥスは同一です。このときコナトゥスというのは,第三部定理九から分かるように,人間が事物を混乱して認識するcognoscereか十全に認識するのかということとは関係ありません。つまり,人間が十全な観念idea adaequataを有していようと混乱した観念idea inadaequataを有していようと,コナトゥスすなわち努力は,同じように人間の現実的本性なのです。したがって,人間は第二種の認識cognitio secundi generisによって事物を認識することによって,第三種の認識cognitio tertii generisで事物を認識することがその人間の現実的本性になるというように,この定理を読解してもよいことになります。
 さらにつけ加えれば,スピノザはこの定理の証明Demonstratioの冒頭で,このことは自明であるといっています。なぜなら,もしも人間の精神mens humanaのうちに十全な観念,たとえばXの十全な観念が発生するとすれば,それはそれ自体で,つまりほかの観念には依拠せずそれ自体でXの十全な観念が発生するか,そうでなければほかの観念,たとえばYの観念を原因causaとしてXの十全な観念が発生するかのどちらかであるけれども,もしもYの観念を原因としてXの十全な観念が結果effectusとして発生するのであれば,Yの観念というのは,Xの十全な観念が発生する人間の精神のうちで,十全な観念でなければならないからです。そしてスピノザはこの定理の証明のために,この点にだけ注目しているのです。
 ここから理解できるのは,実際にスピノザがこの定理でいいたかったことは,第二種の認識で事物を認識することで,第三種の認識が生じ得るということなのです。
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