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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

加古川青流戦&情報

2021-09-28 19:04:32 | 将棋
 25日に鶴林寺で指された第11期加古川青流戦決勝三番勝負第一局。対戦成績は服部慎一郎四段が0勝,井田明宏四段が1勝。
 加古川市長による振駒で井田四段の先手となって相掛かり
                                        
 第1図で☖1四歩と突いた手を服部四段は局後に悔やんでいました。先に☖4四歩と突き,先手が角をどのように処置するのをみてから指し方の方針を決めなければならなかったようです。
 先手は☗9六歩と逆の端歩を突きました。後手はそこで☖4四歩と突きましたが,この場合は☗2七角。後手は☖1五歩と突き越しましたが先手も☗9五歩と突き越しました。
                                        
 この☗9五歩では本当は☗3六飛の方がよかったそうです。しかし☗9五歩も端攻めをみせた厳しい手。とくに後手が1筋を突き越したのと比べると価値が高く,ここで先手が優位に立つことになりました。
 井田四段が先勝。第二局は26日に指されました。

 情報共有型ゲームと情報非共有型ゲームの特徴の最も大きな差異は,実力の反映のされ方にあります。ですがほかにも差異があるのです。それは,第二種の認識cognitio secundi generisによって考えるべき事柄の差異で,この点が近藤のいっていることと関連します。
 近藤は麻雀がもつふたつの性質のうち,自分が得点を獲得しようとする場合は第三種の認識cognitio tertii generisが有効であるけれど,自分が失点を回避しようとする場合,あるいは同じことですが,自分以外のプレイヤーが得点を獲得することを阻止しようとする場合は,第三種の認識が有効ではないといっていました。そしてその理由のひとつとして,麻雀が情報非共有型ゲームであるということがあげられると僕は考えています。すでにいったように,近藤は麻雀が情報非共有型ゲームであるということを前提としていますから,このことには何も触れていませんので,僕の方からこのことの意味を示しておきたいのです。
 情報非共有型ゲームというのは,そのゲームのプレイヤーにすべての情報が開示されていないゲームを意味しますが,このとき,開示されている情報の方に目を向けると,各々のプレイヤーが得ている情報には相違があります。たとえばトランプのようなゲームを複数人でプレイする場合,各々のプレイヤーは自分のカードについての情報は開示されていますが,他のプレイヤーのカードの情報は開示されていません。麻雀もこれと同じで,自身の手の情報は開示されていますが,他のプレイヤーの手は開示されていないのです。
 このとき,もしも自分が得点を獲得するということを目指すのであれば,自分の手を中心に考えていくことになります。つまり開示されている情報を規準として考えていくことになります。しかし,他のプレイヤーが得点を獲得することを阻止することを目指すのであれば,考える規準は自分の手ではなく,他のプレイヤーの手になります。つまり,考える規準が,開示されていない情報になるのです。したがってこの場合は,開示されていない情報がどのような情報であるのかということ,すなわちそのプレイヤーの手がどのような手であるのかということを推測するという思考が必要になってくるのです。
コメント
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