スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サッポロビール盃マリーンカップ&必然と不可能

2015-04-14 19:22:18 | 地方競馬
 なぜか火曜日に行われた第19回マリーンカップ
 好発はタッチデュールでしたが,行く気はなかったようです。大外からサマリーズが先頭に。この馬の逃げは大方の予想通りではないでしょうか。サンビスタが2番手でがっちりとマーク。向正面に入る辺りでトロワボヌールが単独の3番手に押し上げ,4番手にマーチャンテイマー。この後ろは内にカイカヨソウ,外にケンブリッジナイスの併走。少し離れてアクティビューティが追走という隊列に。前半の800mは49秒0のミドルペース。
 3コーナーを回るとサマリーズの手が動き出したのに対し,サンビスタは余裕の追走。4コーナーでは2頭が並び,すぐに先頭に立ったサンビスタが抜け出して4馬身差の快勝。勝ち馬をマークしていたトロワボヌールが2着。大外から脚を伸ばしたアクティビューティが3馬身差の3着と,きわめて順当な結果に収まりました。
 優勝したサンビスタは前々走のTCK女王盃以来の勝利で重賞4勝目。牝馬限定なら能力は断然。1600mの距離,58キロの斤量と,課題がなかったわけではありませんが,ものの見事に克服。というより唖然とするほどの強さを見せつけました。この路線では現状は対抗できそうな馬は不在で,牡馬相手の重賞制覇が次の目標といえそうです。父はスズカマンボ。母は2002年のフェアリーステークスを勝ったホワイトカーニバル。Sambistaはポルトガル語でサンバダンサー。
                         
 騎乗した岩田康誠騎手は第16回以来3年ぶりのマリーンカップ2勝目。管理している角居勝彦調教師はマリーンカップ初勝利。

 神Deusが何事かを決定したとき,その決定の実現が必然的necessariusであることは,スピノザ主義でも遵守されています。この場合にも,スピノザ主義と比較することによって,ライプニッツ主義の特徴が浮かび上がります。
 スピノザ主義における神の決定は,神の本性の必然性necessitasにのみ依拠します。前回のテーマで考察したように,『エチカ』には表現上は二種類の因果性すなわち必然性があります。しかし第一部公理三に示されている必然性は単一です。いい換えれば,それら二種類の因果性,すなわち垂直と水平の因果性は同一の因果性です。したがって神の本性の必然性は唯一です。
 第一部定理二九でスピノザがすべては神の必然性から決定されているというとき,因果性が唯一であることを踏まえたなら,個物res singularisが現実的に存在する場合にもこの定理Propositioが妥当するということが理解できます。同様のことは,第一部定理二六でスピノザが神から決定されたものといっているときに,そのものを現実的に存在する個物に適用した場合にも妥当します。現実的に存在する個物も,すべてといわれるものに含まれ得るし,神から作用に決定されたものに含まれ得るからです。だからスピノザ主義では可能世界は存在せず,ただ現実世界が唯一の世界として実在することになります。必然性が唯一で,その唯一の必然性によってあらゆることが決定されるのであれば,実在する世界も唯一であるからです。いい換えれば,神の本性の法則に適することのすべては必然的に実現し,適さないことのすべては実現が不可能であることになるからです。
 だから,スピノザ主義においては,個物の存在がどのように認識された場合でも,必然と不可能が対義語であることになります。つまり個物は神のある属性attributumに包容されて存在する場合にも,また現実的に存在するという場合でも,必然的に存在しまた作用するか,そうでなければ存在することも作用することも不可能であるのです。
 僕の考えでは,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizも部分的にはこれを認めているのです。
コメント
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