スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日刊スポーツ賞黒潮盃&フッデとレーウェンフック

2020-08-20 19:02:53 | 地方競馬
 北海道から2頭,佐賀から1頭が遠征してきた昨晩の第54回黒潮盃。真島大輔騎手が8レースで落馬し鼻骨と頸椎を骨折したためカズベナートルは繁田騎手に変更。
 モリノブレイクはタイミングが合わず1馬身の不利。押してファルコンウィングがハナを奪い,3馬身くらいのリードに。2番手以降はワイルドホース,アベニンドリーム,インペリシャブル,モリノブレイク,ピュアオーシャン,サンエイウイング,チョウライリンとアマルインジャズとコパノリッチマン,コバルトウィングとストーミーデイの順で差がなく続きました。2馬身差でカズベナートルとエアーポケット。3馬身差でブラヴール。2馬身差の最後尾にブリッグオドーンという隊列。最初の800mは50秒0のスローペース。
 このペースにも関わらず3コーナーでファルコンウィングのリードはまだ2馬身くらい。インペリシャブルが単独の2番手に追い上げ,4馬身差の3番手にコパノリッチマン。直線に入ると絶好の手応えで前を追ったインペリシャブルがファルコンウィングを差し,先頭に立ってからは後続を離す一方になっての圧勝。コパノリッチマンが最後までしぶとく伸びて6馬身差で2着。逃げ粘ったファルコンウィングが半馬身差で3着。
 優勝したインペリシャブル鎌倉記念以来の勝利で南関東重賞2勝目。鎌倉記念まで4連勝して素質の高さをみせていましたが,1600mのレースで連敗したため,クラシック路線は走らずスプリント路線を選択。陣営が適性を見込んでの選択と考えていましたので,距離が伸びたここは軽視していました。それがこの圧勝ですから,むしろ2歳の時は素質で走っていて,本質的には長距離の方がよかったのかもしれません。ただこのレースはスローペースなのに前の方で差が開くという隊列となりましたから,その部分で恵まれたという面はあります。父はエスポワールシチー。祖母の父はフジキセキ。5代母がロッタレースの祖母にあたる同一牝系です。Imperishableは不滅。
 騎乗した川崎の山崎誠士騎手は東京湾カップ以来の南関東重賞16勝目。黒潮盃は初勝利。管理している川崎の高月賢一調教師は南関東重賞6勝目。黒潮盃は初勝利。

 書簡四十五ライプニッツGottfried Wilhelm LeibnizはフッデJohann Huddeとの仲介を求めています。書簡四十六は,スピノザがその要望に応えたというように読めます。つまりこの時点で,フッデとライプニッツは相識の間柄であったと思われます。ですからオランダを訪れたライプニッツがフッデと会うために,だれかの仲介を必要としていたとはいえません。もちろんそれがあった可能性は否定できないわけですが,フッデに関しては,それはなかったのではないかと僕は推測しています。
                                        
 『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』と『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』で,オランダを訪れたライプニッツがスピノザと面会するときに会った人として名前があげられているもうひとりのレーウェンフックAntoni von Leeuwenhookは,『フェルメールとスピノザBréviaire de l'éternité -Entre Vermeer et Spinoza』ではスピノザとフェルメールを結び付けた人物とされていますが,この面会はスピノザとは関係なかったと思われます。レーウェンフックは顕微鏡学者として著名であり,それに対して関心をもったライプニッツが,レーウェンフックを訪問したといったところではないでしょうか。スピノザが住んでいたハーグは,シュラーGeorg Hermann Schullerやフッデ,またマイエルLodewijk MeyerとイエレスJarig JellesがいたアムステルダムAmsterdamからは遠いのですが,レーウェンフックはアムステルダムよりハーグに近いところに住んでいましたから,アムステルダムからハーグへ向かう途中あるいは帰途に,ライプニッツがレーウェンフックにも会ったというのはおかしなことではありません。おそらくライプニッツの最大の目的はスピノザと会うことだったのですが,スピノザと近くに住んでいるレーウェンフックにもついでに会っておいたというところでしょう。もちろんこれはスピノザからみたからついでということになるのであって,ライプニッツの関心の広さからいえば,必ずしもついでのことであったとはいい難いかもしれません。
 これでライプニッツがスピノザを訪問する前に会った人たちとの会見の理由の僕の推測はすべてです。そしてもうひとつ,レーウェンフックに関しては確実にそうだとはいいきれませんが,少なくともそれ以外の人びとは,自分と会った後に,ライプニッツがスピノザと会うということは知っていただろうと思われます。
コメント
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