スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&書簡

2020-08-06 19:05:14 | 将棋
 一昨日と昨日,有馬温泉で指された第61期王位戦七番勝負第三局。
 藤井聡太棋聖の先手で相矢倉。木村一基王位が中盤の膠着状態を長引かせるような指し方を採用。これに対して先手が仕掛けていき,棋譜だけだとこの攻めが最後まで繋がったというところなのですが,実際は終盤で先手に大きな見落としが発生していました。
                                       
 先手が☗2二銀と王手を掛け,先手の玉が3三から引いた局面。ここは☗3三歩と打ち☖2三王なら☗4二馬と金を取って攻め続けるのが正着でした。
 実戦は☗2一銀打としました。これでも☖2三王☗4二馬と進むと先手は読んでいたようです。ところがこの場合は先に☖2二王と銀を取り,☗4二馬に☖2三王とする手順がありました。先手は☗1五金と詰めろを掛け☖3四王に☗4六金と詰めろを続けました。
                                       
 ここで☖3三銀と打ったので☗5二馬☖4三歩☗3二銀成でこの銀を取れる形になった先手の攻めが,それでもぎりぎりでしたが繋がりました。☖1三銀と打っておけば,銀を取られることがなかったため先手にも勝機が十分にありました。
 藤井棋聖が勝って3連勝。第四局は19日と20日に指される予定です。

 スピノザの書簡,というのはスピノザが出した書簡と受け取った書簡のことですが,そのすべてをスピノザ自身は保管していました。受け取った書簡を手許に置いておくことは難しくありませんが,出した書簡はそうではありません。手軽にコピーができる時代ではありませんでしたから,おそらく同じものをふたつ書いていたのではないかと思います。これはいずれそれらの書簡を発表する意図がスピノザにあったための措置であったと思われます。この時代の書簡というのは,一種のメディアのような役割も帯びていましたので,スピノザだけが特有にそうしていたわけではありません。そしてすでにスピノザが生きているうちにも,そうしたメディアとしての役割を果たしていた書簡,つまり送った相手とスピノザだけが読むのではなく,ほかの人びとにも読まれていた書簡というのが存在していました。書簡九とか書簡十二というのがその代表的なものです。もちろん,それらは万人に読まれていたというわけではなく,『エチカ』の草稿を読むことを許可された人がごく僅かであったのと同じように,特定の人だけに読まれていたものであった筈ですが,ゆくゆくはもっと広くの人びとに読んでもらいたいという気持ちを,スピノザが有していたことは間違いありません。スピノザはオランダ語で書かれていた書簡については自身でラテン語に翻訳していたと伝えられていますから,このことは確実視してよいと思われます。
 実際にはスピノザの存命中には,それらの書簡が公にされるということはありませんでした。しかし残されていた書簡のすべては,スピノザが死んだときに住んでいたところの家主であったスぺイクHendrik van der Spyckが,生前のスピノザから受けていた指示を忠実に果たしたことにより,『エチカ』や『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』などの未発表のその他の原稿と共に,リューウェルツJan Rieuwertszの手に渡りました。これはコレルスの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaにある通りで,実際に遺稿集Opera Posthumaを出版することが可能になるためにはそれがなければならなかったのですから,史実と解して間違いありません。ただし,未発表であったほかの原稿とは異なり,書簡についてはそのすべてが遺稿集に掲載されたわけではありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする