スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

バラ色の未来①&フッデとの書簡

2020-08-07 18:52:56 | 歌・小説
 僕の中では,「僕たちの将来」と関連している楽曲があります。それは「バラ色の未来」という楽曲です。この楽曲について語っていく前に,どのような関連性があると思っているのかということを説明しておきます。僕のような仕方でこのふたつの楽曲を関連させている方は,おそらく少ないだろうと推測するからです。
                                   
 「僕たちの将来」というのは,「はじめまして」というアルバムに収録されている楽曲です。「はじめまして」が発売されたのは,1984年の10月です。もうひとつの「バラ色の未来」というのは,「LOVE OR NOTHING」というアルバムに収録されています。「LOVE OR NOTHING」が発売されたのは,1994年の10月です。つまりその間には,ちょうど10年という年月が流れていることになります。この10年という年月が,僕が感じているふたつの楽曲の関連性に,絶妙な影響を及ぼしているのです。
 「僕たちの将来」では,ふたりの男女の恋人が、終日営業のレストランで互いに対する不満なども示しつつ,語らっていました。ふたりは,将来に対しては漠然とした不安を感じていて,それがよくなっていく筈だとは言っていても,本当は半信半疑です。むしろ過去に目を向けることによって,将来に対する不安を払拭しようとしていました。それでも,ふたりには将来というものが存在していたのであり,それはそのふたりに,将来があると感じさせるだけの若さがあったという証拠でもあります。
 これに対して「バラ色の未来」は,男のひとり語りの楽曲です。そして題名の「バラ色の未来」が意味しているところは,ひとり語りをしている男にとって,これから来るであろうバラ色の未来なのではなく,かつて見ていたバラ色の未来なのです。むしろこの男は,すでにバラ色の未来というのがどういう未来であったのかということさえ忘れてしまっています。つまりバラ色の未来を夢見ることはできない男なのです。それはこの男には,それを夢見るだけの若さが失われているとみることができるのではないでしょうか。
 ここで10年という年月が僕の中で意味をもってきます。「バラ色の未来」を歌っているのが,10年前に「僕たちの将来」を歌っていた男と,同一人物であるかのように僕には思えてくるのです。

 スピノザが保管していたすべての書簡がリューウェルツJan Rieuwertszの手に渡ったにも関わらず,そのすべてが遺稿集Opera Posthumaに掲載されることがなかったのには,いくつかの事情があったと考えられます。そしてそのうち最大のものは,分量的な問題でしょう。そのすべてを遺稿集に掲載するには,あまりに分量が多かったため,遺稿集の編集者たちがそれらを取捨選択して,一部だけ遺稿集に掲載したのだと思われます。
 これは物理的な問題といえますが,それ以外の事情もあるにはありました。遺稿集が出版されるときに生きていた人の中に,自身がスピノザと書簡のやり取りをしたことが公にされることを嫌がり,編集者を通してそれを公開しないように依頼した人が何人かいました。スピノザは無神論者とされていましたから,密かにスピノザと通じていた人というのがそれなりにいたと思われ,こうした事情が生じたことは自然なことだったと思われます。たとえばライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizは編集者のひとりであったシュラーGeorg Hermann Schullerを通して,自分とスピノザとの間で書簡のやり取りがあったということを公開しないように依頼しました。実際には書簡四十五書簡四十六は遺稿集に掲載されたのですが,これ以外にもスピノザとライプニッツとの間で書簡のやり取りがあったのは間違いありません。
 これと似たパターンに,フッデJohann Huddeとのやり取りがあります。フッデは遺稿集の編集者の何人かと知り合いであったことは間違いありません。そこで編集者たちはフッデの意向を汲み取りました。フッデからスピノザには,少なくとも4通の書簡が出されていたのですが,それらはすべて遺稿集からオミットされています。一方,スピノザからフッデに送られた書簡三十四,書簡三十五,書簡三十六の3通は掲載されたのですが,これらはだれに出されたものかが伏せられていました。つまり,宛名がない形で掲載されましたから,だれがスピノザとやり取りをしていたか公にならないようにされていたのです。
 なお,フッデとの書簡はオランダ語でやり取りされていました。遺稿集に掲載されたのは,スピノザがラテン語に訳しておいたものです。つまりスピノザがそうしていたのは史実であるということです。
コメント
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