スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

叡王戦&近藤の誤解

2020-08-03 18:56:20 | 将棋
 1日に指された第5期叡王戦七番勝負第六局。
 豊島将之竜王・名人の先手で永瀬拓矢叡王の横歩取り。早い段階から派手な戦いになりましたが,そのわりには決定的な差がつかないまま終盤に突入しました。
                                        
 後手が7六に歩を打って,先手の桂馬が跳ねたところ。後手は☖8六角と打ちました。これには☗6八歩の一手。☖7七歩成の継続手に☗8七歩と打ちました。
 ここで☖7八とと取ってすぐに攻めにいったのが早急すぎました。先手は☗8六歩と角を取ります。後手は攻め続けるほかないので,☖6九銀☗4七玉☖6八と☗同角☖8八飛としましたが,☗7七角打と受けられ☖8七飛成と逃げることに。
 手番を得た先手は☗4四歩☖同歩と取り,☗3四香☖3三歩とその香車を犠打で放った上で☗7四桂。後手は☖3四歩と取りましたが☗6二桂成☖同金に☗4四金と出て,流れるような手順で勝勢に持ち込みました。
                                        
 先手の感想にあるように,☖6八とのところで☖9五角と逃げておけば少なくとも難しくはあったでしょう。また☖7五角とわざと取られるところに引き,☗同角に☖3五龍と取る順もあったかもしれません。後手はそのどちらかを選ぶべきだったということになりそうです。
 豊島竜王・名人が勝って2勝2敗2持将棋。第七局は10日に指される予定です。

 美に関する話題はこれで終了とし,「〈内在の哲学〉へ』に関連する最後の考察に移ることにします。事前に約束しておいた通り,これは近藤のスピノザの哲学に対する理解に疑問を呈する内容です。もう少しいっておくと,僕の見解opinioでは,近藤によるスピノザの哲学に対する理解には,ある誤解が含まれています。なぜ僕が近藤が誤解を犯していると考えるのかということを,これから説明していきます。
 『〈内在の哲学〉へ』の8節の中に,諸観念の総体という語があり,それがカッコつきで間接無限様態と説明されている箇所があります。また,16節の中には,「間接無限様態」としての間接的な無限知能といういい方がされている箇所があります。これらは,いい方こそ異なれど,同じことを近藤はいわんとしていると僕は解します。すなわち,思惟の属性Cogitationis attributumの間接無限様態について,それは諸観念の総体であるということです。各々の箇所で近藤が主張しようとしていることとは,この解釈は直接的に関係しているわけではありません。他面からいえばこれらの箇所で近藤は,スピノザの哲学における思惟の属性の間接無限様態は諸観念の総体であるということを主張しようとしているのではありません。そしてこの解釈自体が,これらの部分における近藤の主張に影響を与えているわけではありませんから,仮にこの解釈が誤りであったところで,近藤自身の主張の根拠が揺らぐというわけでもありません。ただ,同じような内容を有する解釈が,別のことを主張しようとしている箇所に出てくるわけですから,スピノザの哲学における思惟の属性の間接無限様態は諸観念の総体であると近藤が解していることは間違いありません。しかし僕はこの解釈には疑問があります。思惟の属性の間接無限様態が何であるのかということに関しては,僕ははっきりとした結論を出すことができません。しかし,それが諸観念の総体ではないということだけは確実だと考えるのです。
 近藤はそれぞれの箇所で,スピノザの哲学における思惟の属性の間接無限様態が何であるのかということを探求しようとしているのではないこともあり,解釈の根拠については一切の言及がありません。
コメント
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