スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

銀河戦&力としての意志

2019-09-27 18:51:24 | 将棋
 24日に囲碁将棋チャンネルで放映された第27回銀河戦の決勝。対局日は8月16日。その時点での対戦成績は豊島将之名人が8勝,渡辺明三冠が15勝。
 渡辺明三冠の先手で相雁木。先手が早繰り銀から先攻しましたが,1筋を突き捨てたのがやり過ぎだったようで,うまく咎めた後手が優位に立ちました。ただ,後手がその1筋方面に逃げられたところ,反対側に逃げ出そうとしたため混戦の終盤に。
                                        
 後手が銀を打った局面。ここは☗5二金と☗5三とのふたつの攻め筋がある上,☗同金☖同銀成☗同玉としてからそれらの攻めをみせる順があり,手が広いところ。この後の展開からすると,ここで☗同金と清算しておくのは有力だったようにも思え,この☖7八銀打は危険な手だったのかもしれません。
 実戦は単に☗5三とでした。この香車はもしかしたら攻めに働いてくるかもしれず,それを取り除いておくという意味では有力ですが,☖同王で4二の金が浮いてしまったので,先手も細心の注意が必要に。☗5二金から俗に8筋方面に後手玉を追いやっておく指し方もあったかもしれません。
 先手はそこで☗7八金☖同銀成☗同玉と清算。後手は☖6九馬☗8八玉☖7八金☗9七玉と端に追い詰め☖9五歩と突きました。
                                        
 ここが最後の勝負所で,☗4四角以下力づくで後手玉を8筋まで追い,それから☗8五歩と逃げ道を開けておけば,まだ難しかったようです。実戦は単に☗8五歩としたため,☖4二王と金を取る手が生じ後手の勝ちになりました。
 豊島名人が優勝。2016年の日本シリーズ以来となる2度目の棋戦優勝です。

 ここまでのことから,スピノザの哲学における個々の意志作用volitioと個々の観念ideaの関係,一般的にいえば,個々の意志作用の総体としての意志voluntasと個々の観念の総体としての知性intellectusとの関係を僕たちは的確に把握することができます。すなわち意志作用という思惟の様態cogitandi modiは,あるいは意志という思惟の様態は,観念あるいは知性という思惟の様態を,力potentiaという観点からみたような思惟の様態なのです。つまり,観念というのが思惟の様態として実在するといわれるとき,その実在する観念は意志作用という力を有しているということになるのです。実在するということは力であり,実在しないあるいは実在し得ないということは,力と反対の意味で無能impotentiaです。このこと自体は明白でしょう。よって実在するものは何であれある力を含みつつ,というか力そのものとして実在するのです。このとき,とくに観念は意志作用という力を含みつつ,あるいは意志作用という力そのものとして実在するのです。よって僕たちはある思惟の様態を,単に客観的有esse objectivumとして把握するときにはそれを観念とみなしますが,客観的有という力という観点から把握するときにはそれを意志作用として把握するのです。ですから僕たちは意志作用というのを力として把握するので,意志があるとかないとかいうときには,それが実在するということを暗黙の前提とします。なのでXについてそれを肯定する場合にはXという意志があるとみなしますし,否定する場合にはXという意志はないというのです。一方,そもそもそうした力がない,つまりそれが思惟の様態として実在しないという場合には,意志がないといういい方はせずに,その力がない,能力が欠如しているといういい方をするのです。
 ただ,このように意志作用を力としての観念,意志を力としての知性であるとみなす場合には,いくつかの疑問を呈されるおそれがあります。なのでここではそれについても弁明しておきます。
 まずスピノザは,意志あるいは意志作用を力という観点から把握していると僕は解しますが,だからといってそれが個々の観念なり知性なりを超越するものであるとはみなしません。観念を超越する意志の力というのはないのです。
コメント
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