スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

長良川鵜飼カップ&意志

2019-09-24 18:55:48 | 競輪
 岐阜記念の決勝。並びは小松崎‐佐々木の福島,浅井‐志智-金子の中部,南-畑段の近畿,太田-桑原の四国中国。
 スタートは取り合う形になりましたが,桑原が取って太田の前受け。3番手に浅井,6番手に南,8番手に小松崎という周回に。残り3周のバックを出ると小松崎が上昇開始。南がこのラインに続き,ホームで小松崎が太田の前に出て誘導は退避。浅井が5番手,太田が8番手の一列棒状に。引いた太田がバックから発進して打鐘。コーナーで小松崎を叩いてかまし先行に。南が位置を取りに動き,桑原の後ろは小松崎でその後ろに南。5番手は畑段と佐々木で併走になり,浅井がその後ろ。バックから浅井が発進。しかし直線の手前で小松崎が牽制する形となり失速。逃げ切った太田が優勝でマークの桑原が4分の3車身差の2着に続いて四国中国のワンツー。浅井の番手から外から二人目を差し込んできた志智が4分の1車輪差の3着。
 優勝した徳島の太田竜馬選手は7月の小松島記念以来の優勝で記念競輪3勝目。岐阜記念は初優勝。このレースはメンバーを見渡したところ,太田の先行になりそうで,自身のペースで駆けられそうなので最有力ではないかと思っていました。中部は金子が番手の方が自然で,地元の志智が番手ということは,浅井の先行もありそうにも思え,その点だけは不安だったのですが,そういう展開にはなりませんでした。桑原も直線の手前でやや車間を開け,うまく援護したように思います。レース内容が以前と比べると格段に進歩していて,それが成績に結び付いているのではないでしょうか。

 僕が死んだときにまだ妹が生きていたとして,妹が僕の生命保険金を受け取る手続きをする意志があるかないかといえば,僕はないと判断します。これは哲学的に説明しておきましょう。
                                   
 第二部公理三の意味は,本来は思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念ideaであると同時に意志voluntasであるということでなければなりません。スピノザはここでは観念についてしか言及していませんから,『エチカ』の公理系の内部においてはこの公理は思惟の様態のうち第一のものは観念であるという意味においてのみ用いられるのですが,第二部定理四九では,観念が観念である限りにおいて含む意志作用volitio以外に意志作用は存在しないといわれていて,これは観念には必ず意志作用が含まれていることを意味するからです。これを一般的な仕方で示したのが第二部定理四九系です。ここでいわれている意志とは個々の意志作用の総体であり,知性intellectusとは個々の観念の総体です。よって意志と知性が同一であるということは,個々の意志作用と個々の観念は同一であるという意味になります。ですから観念が存在していればそこには必ず何らかの意志作用が含まれているのでなければなりませんし,意志作用が存在しているのならその意志作用によって肯定される何らかの観念が必ず存在していることになるのです。ですから観念が思惟の様態のうち第一のものであるなら,意志作用あるいはその総体としての意志もまた思惟の様態のうち第一のものでなければなりません。
 これを保険金の受け取りの手続きの例で示すなら,ある保険金の請求をする意志というのはその保険金を請求する手続きを肯定する意志作用のことです。逆にそういう意志がないというのは,その保険金を請求する観念を否定する意志作用のことなのです。このように,意志作用にはそれを肯定するものと否定するものとがあるのであって,実際には観念があれば意志作用は伴われます。なので本当は保険金を請求する意志がないといういい方は適切ではないのであって,保険金を請求しない意志があるといった方がいいかもしれません。このようないい方をすれば,意志作用はたとえ否定的にみられるものであっても,肯定的に解せるからです。
コメント
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