スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

善知鳥杯争奪戦&点検

2019-09-08 18:44:14 | 競輪
 青森記念の決勝。並びは藤根‐新山響平‐新山将史‐伊藤の北日本A,渡辺‐守沢の北日本B,小原‐山賀‐伊勢崎の南関東。
 渡辺がスタートを取って前受け。3番手に藤根,7番手に小原で周回。残り3周のホームから小原が上がっていき,新山響平の外で併走。このまま残り2周のホームに。併走をやめた小原がさらに上がって渡辺の前に。しかしバックで内を掬う形でまた渡辺が先頭。外から藤根が発進し打鐘前からかまし先行に出ると,伊藤の後ろを小原が追う形になり,5番手に小原で6番手が渡辺,さらに山賀,守沢,伊勢崎という一列棒状に。このままバックに入ると新山響平が番手捲りを敢行。新山将史はやや離れたものの追走しましたが伊藤は完全に離れました。小原の後ろから自力を出した渡辺が3番手まで上がりましたが,最終コーナーでは先頭と2番手,2番手と3番手にそれぞれ差がある形。直線ではその差は詰まったものの順位までは変わらず,新山響平が優勝。マークの新山将史が1車身差の2着で地元の弟と兄のワンツー。渡辺が半車身差の3着。
 優勝した青森の新山響平選手は7月に玉野のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は6月の函館記念以来の3勝目。青森記念は初優勝。ここは藤根が先導役を買って出て,渡辺がこのラインを邪魔することはあり得ないので,小原に競られることがない限りは勝てるだろうと思いました。小原は一時的に併走しましたが,長く競り合えば渡辺を利するだけですから,結局はこのラインの後ろを狙う競走をせざるを得ない形に。藤根もいいタイミングで発進したと思います。

 1月25日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
 1月26日,土曜日。午後9時にピアノの先生から電話がありました。翌日に延期したレッスンの開始時刻に関してです。
 1月27日,日曜日。妹のピアノのレッスンでした。午後3時半の開始でした。
 1月28日,月曜日。妹を通所施設に送りました。帰宅してすぐ,午前11時半に電話がありました。風呂のガス給湯器の点検についての案内でした。点検の日時を決めました。さらに午後5時15分には,保険料を引き落とすことができなくなっていた保険会社からも電話がありました。母が死んだことは伝えましたので,保険金の請求の手続きに関してはその時点で初めてもらっていました。また,支払わなければならない保険料に関しては,振込用紙を送ってもらい,それで振り込むことも24日の電話で確認してありました。この日の電話は,僕の生命保険に関するものです。僕の生命保険の受取人が母になっていましたので,それを変更しなければならなかったのです。そのための書類も送付されることになりました。
 1月29日,火曜日。午前10時20分に導師から電話がありました。11時半ごろに訪問するという内容でした。午前11時に,前日に決定しておいたガスの点検の業者が来訪しました。点検は10分程度でした。不良の部位はあるけれども,給湯器としてはまた使用し続けられるとのことでしたので,交換はしませんでした。導師はこの点検が終った後,電話での通知通りに11時半に来訪しました。30分ほど読経をして帰りました。なぜ急に来訪したのか定かではないのですが,御講だったのだと思われます。この読経の最中にみなと赤十字病院からの電話がありました。22日に申請した書類が完成したので,近日中に取りに来るようにとの内容でした。
 1月30日,水曜日。妹の新たな受給者証が送付されました。計画相談が終了し,19日にサインをしたので,その後で福祉事務所で正式な手続きが行われたのでしょう。
 1月31日,木曜日。みなと赤十字病院に行きました。29日に電話で通知を受けた,保険金の請求のために必要な書類を受領するためでした。
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