スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑯-4&意志の有無

2019-09-25 19:02:42 | ポカと妙手etc
 ⑯-3の第2図の☗4五歩がなぜ意外な手であるかというと,この局面では先手の7六の歩が浮いているからです。先手が研究してきていることは後手も承知だったでしょうが,それでも☖7六銀と歩を取りました。
                                        
 これは角取りですし,先に☗4五歩と突いておいた関連から先手の☗4四角は必然手といえるでしょう。
 角を交換すると後手の歩が伸びてきて,これは先手の言い分が通る形。なので☖3三桂で交換を拒否するのも当然といえます。
 先手はここで☗3六歩と突いて跳ねた桂馬の頭を狙いにいきました。これを受けるには☖1三角しかありません。先手は☗3五歩。
 すぐに☖同角は角交換になって☗3四歩と打たれます。ですから☖4三歩☗5五角としてから☖3五角と取るのも当然の進行でしょう。飛車取りなので先手は☗3六飛と逃げました。
                                        
 ここで一段落したかのようですが,この将棋はここからさらに激しい変化に進みます。

 ここまでの説明から分かるように,Xに関してその意志voluntasがないというのは,Xに関してそれを肯定する意志作用volitioが存在しないという意味です。あるいはXに関して,それを否定する意志作用があるという意味です。そして僕たちが一般的に意志の有無について言及する場合は,スピノザの哲学で説明すればこのような意味を帯びているのです。僕は今回の件については,保険会社の社員とも話をしましたが,保険金を請求する意志がない人を受取人として指名することはできないと言ったとき,このような意味を帯びていた筈です。つまり,妹に保険金を請求することに否定する意志作用があるなら,いい換えれば保険金を請求することを肯定する意志作用がないなら,僕の保険金の受取人として妹を指定することはできないという意味であった筈です。
 僕は,保険金を請求する意志が妹には存在しないといいました。ですが,それはこのような意味ではないのです。僕の判断では,保険金を請求することを肯定する意志作用もないし,保険金を請求しないことを肯定する意志作用もないという意味で,妹には保険金を請求する意志はないと解するのです。
 第二部定理四九および第二部定理四九系から分かるのは,Xを肯定するのであれ否定するのであれ,そういう意志作用が存在するならXの観念ideaが存在するということです。したがって,Xに関してそれを肯定する意志作用はないしそれを否定する意志作用もないということは,Xに関する観念がないという意味なのです。僕はこのような意味で,妹には保険金を請求する意志はないといったのです。そもそも妹には僕の生命保険金の観念を有していないばかりでなく,一般的に生命保険という観念も存在しないのです。個々の観念と個々の意志作用は同じものなのですから,観念がなければ意志作用が存在する筈はありません。
 このような場合も,意志作用が存在しないということができます。少なくともスピノザの哲学ではいうことができます。つまり,スピノザの哲学においてXについて意志がないというのは,単にXについてそれを肯定する意志作用がない場合のほかに,Xの観念が存在しない場合も含まれていることになります。
コメント
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