スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

将棋日本シリーズJTプロ公式戦&弁明書

2016-10-25 18:56:16 | 将棋
 23日に東京ビッグサイトで指された第37回将棋日本シリーズの決勝。対戦成績は佐藤天彦名人が6勝,豊島将之七段が7勝。
 振駒で佐藤名人の先手となり角換り相腰掛銀。後手が早めに銀を3三に上がり,6ニ金‐8一飛型から先行する将棋。双方に研究があったようですが,先手の研究の方が深かったらしく,駒損ながらと金と馬を作った先手優位の展開のまま終盤戦に入りました。
                                     
 後手が5九に角を打ち,先手が4八の飛車を逃げた局面。後手は3二の金を狙っている銀を外しつつそれを入手するために☖4一飛。当然☗同とです。
 この局面は後手玉は詰めろにはなっていませんが,手番を先手に渡すと寄せられますので,詰めろの連続で迫っていかなければなりません。まず☖7八銀と王手をして☗同金☖同桂成☗同王と清算。さらに☖6六桂☗8八王と追って☖8六歩と突きました。
 ここで先手は☗7七角と投入して受けました。☖8七歩成☗同王☖7七角成☗同金でまた角を入手した後手は☖6九角の王手。
                                     
 ここで☗9八王と逃げれば☖7六銀の進出にも☗8八歩と受けて有望でした。しかし☗8六王と上に逃げてしまったために,同じように☖7六銀とされたときに受け難く,☗同金☖7六銀以下の詰みに。しかしこの手順ですと先手が優位といっても微差であったのではないかという気もします。
 豊島七段が優勝。意外にもこれが棋戦初優勝でした。

 「シナゴーグ離脱の弁明書」との関連でもうひとつ補足すれば,『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』では,この弁明書に関連するスチュアートMatthew Stewartに独自の,いささか奇妙とも思えなくもない論述が展開されています。
 スチュアートがいうには,このタイトルがその読者,おそらくここでいう読者とはその弁明書を読んだラビたちのことを意味しているのだと思いますが,読者に何を連想させたかといえば,プラトンによる『ソクラテスの弁明』でした。単純にいえばソクラテスは裁判にかけられたとき,自分には罪がないという弁明を行いました。プラトンは師といえるソクラテスのその弁明の内容を書いたのです。ですが周知のようにこの弁明は不成功に終り,ソクラテスは死刑になります。つまりそれと同じように,スピノザによる弁明書も,最初から不成功に終ることを読者に連想させるものだったとスチュアートはいいたいのです。
 スピノザは弁明書をスペイン語で書いたのですが,「ソクラテスの弁明」を意識して,自身が提出した文書に「シナゴーグ離脱の弁明書」と命名した可能性が皆無であるとは僕はいいません。しかしスチュアートはそういう主張はまったくしていません。ただ読者がそのタイトルから何を連想するのかということについて触れているだけです。ですからこのことは,スピノザが書いたものの内容がどういったものであったかということの根拠にはなり得ないだろうと僕には思えます。なぜスチュアートがこのような主張を論述のうちに挿入したのか,僕には意図が不明です。
 ただ,スチュアートは,この連想の主張からも分かるように,弁明書がラビたちを説得するのに有効でなかったということ,つまり単に弁明書というタイトルから連想されるような謝罪を含むものではなかったということ,それどころかむしろ,スピノザがラビたちに異端とみなされた思想,すなわち破門されるに至った思想の総まとめのような内容であったと推測していて,その推測は僕の考え方と一致します。したがってスチュアートは論拠のような論拠でない事柄を同時に示していますが,弁明書がどういうものであったのかということの推論については,僕は同意します。
コメント
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