スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&第二部定理一五

2012-02-23 19:07:28 | 将棋
 久保利明王将にとっては生まれ故郷となる兵庫県加古川市での対局になった第61期王将戦七番勝負第四局。
 久保王将の先手で三間飛車。佐藤康光九段は金銀が左右に分裂するようなあまり見たことがない対応。今日は最後のところを観戦することができました。
                         
 この局面が初見でしたので▲7四桂は意味が分かりませんでしたが,金を取ったもの。ここから△7六飛▲同銀と飛車交換になり△7八馬。先手は▲3三角成と切って△同桂に▲1五歩と弱くなった端を攻めていきました。そこで△4八歩。▲同金は予想通りですが△6九馬は少しも考えていませんでした。後手は歩切れになっているので▲1四歩と取り込むかと思いましたら▲4一飛と打ちました。対して受けずに△5九飛と打ったのには驚きました。何か先手に勝ちがあるのではないかと思ったのですが,▲4九金と受けました。そこで後手も△3一金打。これは実戦の▲5九金で後手が困ると思いました。△4一金は仕方ないでしょうが▲6九金で馬も取れました。
                         
 すぐには終らなくても先手が負けることは考えにくくなったと思った局面。△1五歩とでもするのかと思っていると△9九飛。▲7九歩と受け△9八飛成は当然。そこでも▲5八歩と受け,そこで△1五歩でした。▲7五銀と取って桂馬を攻めに使う手順を考えていましたがさすがにそんなことはせず▲1三歩。もちろんこれも予想はしていた手。後手は△5ニ香と打ち,▲1五香にも△5八香成ですが,これはさすがに先手の勝ちと見て検討終了。以下は即詰みとはならなかったものの,問題なく先手が勝っています。
 久保王将がシリーズ初勝利。どこまで巻き返してくるでしょうか。第五局は来月8日と9日です。 

 人間の精神というのは,それ自体が神の思惟の属性の一個物ではあるのだけれども,それは単純な個物なのではなくて,きわめて多くの個物によって組織されているようなひとつの個物であるということを示している定理は『エチカ』の中にもあります。それが第二部定理一五です。
 「人間精神の形相的有を構成する観念は単純ではなくて,きわめて多くの観念から組織されている」。
 ここでの考察においては,先に証明をしておいて,この定理を導き出したも同然です。したがって繰り返しを避ける意味でも,これ以上の証明はしません。問題はこの定理自体が,第一の課題を解消するに値しているのかどうかということです。
 結論から先にいってしまえば,僕はこの定理だけでは現在の第一の課題が完全に解消されているとはいえないと思います。あるいは,本当はこれで解消されているのかもしれないのですが,それについてやや疑わしく思うところもあるのです。その理由を説明していきましょう。
 一見するとこの定理は,人間の精神のうちにある個物の観念があるということを,それ自体で示しているようにも思えるのです。というのは,この定理は,もしも人間の精神が現実的に存在するのであれば,それ自体がきわめて多くの個物の観念から組織されていなければならないということを明らかに述べているからです。これは確かに,人間の精神のうちに,それを現実的に構成しているきわめて多くの個物の観念があるのだということを意味しているように思います。しかし一方で僕がこれだけでは現在の課題が完全に解消されているともいえないのではないかと思うのは,これは単に人間の精神のうちに個物の観念があるということを示しているだけであって,人間の精神が個物の観念を認識しているということにはならないのではないかと考えることができるからなのです。つまり,現在の課題は実際には人間の精神が個物の観念を認識するということなのですが,認識するということは,その観念をいわば生成するというような意味なのであって,ただ単にそれがあるというだけでは不十分であるというように思うのです。よって確実を期すためには,この疑問も解消しておく必要があります。
コメント
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