スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

チルンハウスの誤解⑦&原因の無限連鎖による論証

2019-04-05 19:18:47 | 哲学
 チルンハウスの誤解⑥でいったようなことが書簡六十四の主旨に含まれていたとして,その主旨の通りにチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausが理解したと仮定します。この誤解についてはチルンハウスは重ねて質問をしていないので,そういう可能性もあったように僕には思えます。ではその場合に,実際にどのようなことが起こったのかを最後に検証しておきましょう。
                                        
 チルンハウスはそもそも,で示した立論のうちⅢの部分は誤りでなければならないと考えていたと僕は想定します。つまりチルンハウスは,神Deusの知性intellectusが人間の知性の原因causaでなければならないのに,スピノザの主張では神の知性が人間の知性の原因であることができなくなってしまい,それはおかしいのではないかと指摘したのだと僕は思います。
 もしもこのとき,チルンハウスが神の知性を思惟の属性Cogitationis attributumと混同していたなら,スピノザの哲学では神の知性は人間の知性の原因ではありませんが,思惟の属性は人間の知性の原因なので,スピノザの解答には満足したでしょう。ですが神の知性と思惟の属性との混同はそのまま続いた筈なので,当初の誤解とは異なった種類の誤解が続いたということになります。
 一方,この混同は,スピノザが予想した混同であることは間違いないと思いますが,チルンハウスが実際にしていたかどうかは不明確な面があります。その場合にはチルンハウスは書簡の内容を,神の知性が人間の知性の原因であるという解答であると理解したでしょう。で示したようにそれは誤りなので,この誤解がチルンハウスのうちで続いただろうと僕は思います。
 つまり,チルンハウスはいずれにせよスピノザの解答には満足しただろうけれども,すべての誤解が解消されるには至らなかったと僕は考えています。

 それでは内部と外部の区分の考察に戻ります。
 この区分を形而上学的な意味で否定するのは,スピノザの哲学では第一部定理二五系です。ただ,同じことを現実的に存在する個物res singularisまで視野に入れて論証する場合には,これから示す二点を援用する方が容易に理解できるのではないかと思います。
 スピノザは第一部定理二八で,個物が存在existentiaと作用に決定される原因causaは,その個物と別の個物であり,その別の個物が存在と作用とに決定される原因はまたそれとは別の個物であるという具合に,個物の存在と作用の決定の原因は無限に進むのだといっています。これは,神Deusが個物の最近原因causa proximaであるとはどういうことかを示すことを主眼とした定理Propositioであって,よってその意味は,ある個物を存在と作用に決定するのは,それとは別の個物という様態的変状modificatioに様態化した神であるということになります。いい換えれば,個物を存在と作用に決定する原因を特定するために,それとは別の個物,その原因である個物というように,原因を無限に渡って特定していく必要はないのです。
 ですが一方で,個物を個物だけとしてみるなら,確かにそれを存在と作用に決定する原因というのは無限に進んでいくのであり,したがってそこには無限に多くの個物が登場してくることになります。いい換えれば無限に多くの個物が,この原因と結果の無限連鎖によって繋がっているのであり,そこにおいてはある個物と別の個物との間に外部と内部という区分を設けることはできません。ただ無限に多くの個物が無限に連鎖しているだけです。このために,ある個物と別の個物は,一方が内部で他方が外部であるという関係を形作ることはできないのです。なので個物はこの無限連鎖のうちにあり,かつこのことがすべての個物に妥当するので,現実的には因果関係をそれ自体では有さないような個物Aと個物Bも,内部と外部に区分することができません。個物Aと個物Bには直接的な因果関係がなかったとしても,個物Aが存在と作用に決定される原因は無限に進み,個物Bが存在と作用に決定される原因も無限に進むのですから,各々が無限に進んでいくうちにどこかで因果関係が必ず生じるからです。
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