スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&数学の意義

2019-04-23 19:07:51 | 将棋
 明治記念館で指された昨日の第12期マイナビ女子オープン五番勝負第二局。
 里見香奈女流名人の先手で西山朋佳女王のノーマル三間飛車。先手は天守閣美濃から米長玉型の銀冠。後手は四間に振り直して高美濃という持久戦。懐かしさを感じる戦型でした。それほど大きな差がつかない競り合いが終盤まで続きました。
                                        
 後手が銀を打った局面。ここで☗8七金と角取りに上がるのがよく,これを逃してからは後手がよくなったようです。ただ,この後で珍しい手が出ましたので,ここではそれを取り上げます。
 第1図から先手は☗8四歩と打って攻め合いにいきました。後手は☖同銀☗8五歩のときに手抜いて☖8八銀不成と金を取りました。先手は☗4八玉と早逃げして後手が☖7七銀不成と桂馬を取ったところで☗9八桂と打ちました。終盤でこんなところに桂馬を打って攻めていこうとするのはとても珍しいと思います。
 後手は☖6八銀不成と金を取って踏み込みました。第1図で打った銀が金2枚と桂馬を取ったことになります。先手は当然☗8六桂。8四の銀を取ってから7四まで跳ねられればかなりの迫力です。
 後手は受けるのではなく☖2六歩と垂らしました。ここで☗8四歩は☖2七金で負けなので☗2八歩。そこで今度は☖1一桂という手が出ました。
                                        
 この龍取りも珍しい手でしょう。そもそも☗9八桂とか☖1一桂というのは棋譜に現れるのも滅多にないと思います。
 第2図の先手は龍を逃げるほかありませんがそこで☖2三香が決め手となりました。
 西山女王が連勝。第三局は来月14日です。

 スピノザの哲学には独立した真理獲得の方法というのが存在しません。いい換えれば,真理veritasを獲得するという意味での方法論が,それ独自では存在しないのです。では僕たちはいかにしてその方法を知るのかといえば,それは真理を獲得することによって知るのです。真理を獲得するということと,真理を獲得する方法を知るということは一体化しています。つまり,真理を獲得した人間は真理を獲得する方法というのも同時に知ることになるのですが,もし何の真理も知らない人間が存在すると仮定するなら,その人間が真理を知るためにその方法だけを知るということはできないことになっているのです。
 よって,真理の何たるかを知るということは,真理を獲得する方法を知るということを同時に意味することになります。したがって,もし数学という学問が存在しなかったと仮定して,その場合には僕たちは現に知っているほどには真理の何たるかを知ることができなかったのであるとすれば,それは現に僕たちが知っているほどには,いかなる方法によって真理を獲得することができるのかということを知ることはできなかったということを同時に意味するのです。つまりスピノザの数学に対する肯定的な評価は,単に数学が僕たちに真理というものを教えてくれるということにあるのではなく,真理を獲得する方法も教えてくれるという点にも存しているのだと僕は考えます。
 真理を知ることと真理を獲得する方法を知るということは一体化しているのですから,どちらが重要であるかを決定することはできません。ただ,数学という学問が有する意義としていうなら,後者の方法論の方が大きいといっていいのではないかと僕は思います。というか,これでは僕が数学を評価しているかのようなので正確を期していえば,スピノザにとって数学が僕たちに与える意義は,数学が真理を教えてくれるということより,数学がどのような方法で真理を獲得できるのかを教えてくれるということの方が大きかったのではないかと僕は思うのです。
 これについては順を追って説明していきましょう。
 まず,数学が真理を明らかにする学問であるということは前提になります。
コメント
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