スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

湘南ダービー&回復

2015-05-08 19:21:57 | 競輪
 一昨日の平塚記念の決勝。並びは新田-成田の福島,矢口-神山-岡田-朝倉の関東,村上-稲川の近畿で岩津は単騎。
 新田がスタートを取って前受け。3番手に村上,5番手に岩津,6番手に矢口で周回。残り2周のホームから矢口が上昇すると,機先を制して村上も発進。新田の前に出て関東勢を行かせる作戦だったかもしれませんが,新田が突っ張る構えを見せたのでバックでまた3番手に入り直しました。岩津も上昇しようとしたものの,思い直したように下げてまた稲川の後ろに。打鐘で矢口が発進すると,引きつけた新田があっさりと併せきり,矢口はホームを過ぎて失速し関東勢は総崩れ。バックから村上が発進。稲川はつけきれずに成田の内に。新田と村上の力勝負は直線で新田が力尽き,村上の優勝。稲川を追い,直線は新田と稲川の中を割った岩津が4分の1車輪差で2着。立て直して外を伸びた成田が4分の3車身差で3着。力のこもったいいレースでした。
                         
 優勝した京都の村上義弘選手は1月の立川記念以来の優勝で記念競輪30勝目。平塚記念は初優勝。新田に突っ張られたのは意外だったかもしれませんが,無理をせずに3番手を確保したのが勝因になりました。矢口も出させずに新田にとっては消耗が大きかったレースであったのは事実ですが,堂々と力勝負を挑んでねじ伏せたのですから,40歳という年齢を考えても立派な優勝だったといえるでしょう。

 一目で体調の悪さがみてとれるくらいなのですから,11日の夜に発熱して以降,このときが最も悪い状態になっていたのは明らかです。母に声を掛けてみると,熱は38.1℃あるとのこと。僕でもここまで熱が高くなるととさすがにいくらか苦しくなりますから,平熱が低い母にとってはひどく辛い状態であったかと思います。このままリビングで横になっていてもよいことはありませんから,寝室に移動して休むように促しまして,母も同意しました。母は普段は家族の夕食の支度をしていますか,当然ながらこの時点では手つかず。ただ,妹はショートステイのため家には帰ってきませんから,僕は自分の分だけを準備すればよかったので,大した問題とはなりませんでした。
 1月14日,水曜日。最初の母の発熱があった翌朝と同じように,この日も僕が起きたときにはすでに母は起きていました。熱は下がったようです。咳は相変わらず出ていましたが,前日に僕が帰ったときと比較したなら,明らかに回復しているのが僕にも窺えました。場合によっては予定を中止しなければならないと考えていましたが,大丈夫そうだったので事前の予定通りに鶴見市場へ。帰ったのは午後5時。母は起きていて,この日は夕食の支度も済ませてありました。
 1月15日,木曜日。母は鼻声になっていたものの,咳は良化していました。妹がショートステイから帰って来る日ですが,これなら何の問題もないだろうと思いまして,僕は長者町へ。午後4時過ぎには帰宅しましたが,母の体調がまた悪化するような傾向はありませんでした。この時間ですと妹の帰宅前になります。もしも何かあってはいけないと思ったので,少し早めに戻ったのです。翌日は妹を作業所まで送っていく必要があります。念のために僕が送っていくようにするか打診しましたが,母は自分で送っていくという答え。自分自身でもそれだけ体調の回復を実感していたのだと思います。
 1月16日,金曜日。前夜の回答の通り,母が妹を作業所に送りました。一連の母の発熱と体調の悪化は,この日で完全に回復したということになります。僕はこの日は横浜へ。帰ったのは午後4時15分頃でした。
コメント
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