スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

京急電鉄賞京浜盃&躓きの石

2014-03-12 19:13:48 | 地方競馬
 南関東のクラシックを目指すことになったハッピースプリントの転入初戦となった第37回京浜盃
 先手を奪ったのはレガルスイ。2番手にはサーモピレー。その後ろはパンパカパーティとファイト。さらに内からライズライン,ファイヤープリンス,注目のハッピースプリントの3頭が並び,その後ろは少し離れて追走という展開。ミドルペースであったと思います。
 3コーナーでレガルスイにサーモピレーが並び掛けていき,押しながらファイトが追い,ハッピースプリントはその外に。かなり外を回ることになったので4コーナーでは一旦は前と差が開いてしまったのですが,手応えはあり,直線では外から突き抜けてハッピースプリントの優勝。内の方でサーモピレーとファイトが激しく競り合って2着争いを繰り広げていたものの,後方に控え直線勝負で末脚を発揮したドラゴンエアルが大外からまとめて交わして1馬身4分の3差の2着。クビ差でサーモピレーが3着となり,ファイトはアタマ差の4着。
 優勝したハッピースプリント全日本2歳優駿の勝ち馬。ここはそれ以来のレース。このコースは大外枠は絶対的に不利ですが,能力の違いで難なく克服。同じようなレース振りで勝ち続けていますので,はっきりと力量の差を表現しているといえます。距離が延びることがプラスになるかは分かりませんが,少なくとも羽田盃は最有力でしょう。はとこに2009年の関東オークススパーキングレディーカップ,2010年の名古屋大賞典スパーキングレディーカップ,2011年のTCK女王盃,エンプレス杯,スパーキングレディーカップと重賞を7勝したラヴェリータ
 騎乗した金沢の吉原寛人騎手は昨年の東京湾カップ以来の南関東重賞3勝目。京浜盃は初勝利。年度代表馬の管理という大役を務めることになった大井の森下淳平調教師も京浜盃は初勝利です。

 デカルトとスピノザの相違の所在から分かるように,第一部定義六は,延長の属性をも神の本性を構成する属性として規定します。ここにスピノザの意図があったのだと考えることもできるのではないかと僕は思うようになりました。そして,延長の属性が含むのは,スピノザがいうところの,そしておそらくはクレーファーが理解しているところの自然に属します。それが神の本性を構成すると主張したという点に注目するなら,確かにスピノザの哲学には自然学の重視という観点が含まれているといえると思います。そしてこの重視というのは,単にスピノザをデカルトと比較した上でいわれるようなものではありません。むしろこの意味での自然が神の本性を構成しないという考え方は,デカルトに特有の考え方であったというわけではなく,少なくとも当時の思想状況においては,自明なこととみなされていたといえるであろう側面があると思われるからです。そしてこの意味において,スピノザは少なくとも当時の思想家のだれよりも,自然学を重視したといって差し支えないでしょう。
                         
 河合は,スピノザのこの観点に類する事柄が,最も厄介な躓きの石になったという意味のことを述べています。とりわけそれは,デカルトの哲学を通してスピノザの哲学に接近した人びとにとってそうであったというのが河合のいわんとするところです。
 確かにこれはその通りであるだろうと思います。デカルトの哲学も,当時の思想状況においては十分に斬新なものでした。デカルトもまた,スピノザと同じように,キリスト教保守派から激しい論難を受けたということが,そのことの証明といえます。保守派には,新しい,よりリベラルな思想を理解できないがゆえに,その分岐点で懐古主義に立ち戻るから保守派といわれる面があるのは事実で,デカルトが排斥されたのも,当然といえば当然です。どんな時代にも,こうしたタイプの人間は多かれ少なかれ必ず存在するからです。
 それでも,延長の属性を神の本性から排除したという点においては,デカルトもスピノザよりは保守的であったといえるのでしょう。逆にいえば,デカルトがそこまでは進むことができなかった道を,さらにスピノザが進んでいったといえるかと思います。
コメント
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