スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

クールモアクラシック&本性の変化

2014-03-24 19:21:40 | 海外競馬
 22日にオーストラリアのローズヒルガーデン競馬場で行われたクールモアクラシックGⅠ芝1500mに,一昨年のチューリップ賞と昨年の京都牝馬ステークスを勝っているハナズゴールが出走しました。
 発馬で5馬身はあろうかという大きな出遅れ。ただ,挽回していき馬群の後ろのインまでは突っ込むことができ,その位置を追走することになりました。直線に入るところでは後方から3番手。やや外に持ち出したものの,この馬より前にいてばてる馬がほとんどなく,進路は塞がったまま。最後は追わずに流れ込んだだけで,16頭が走っての14着でした。
 戦績的に日本でトップクラスとはいえず,このランクの馬がどの程度まで戦えるのかに興味はあったのですが,このレースはただ半周回ってきただけといった感じで,それを確かめることはできませんでした。ただ勝ち馬と2着馬は後ろを引き離していて,この2頭は相当の強さを感じましたので,十全に能力を発揮していても,勝つというのは難しかったのではないかと思います。この後,4月12日のドンカスターハンデGⅠ芝1600mに出走する予定になっています。

 第二部自然学②補助定理五は,他面からいうなら,もしもある物体の運動と静止の割合に何らかの変化が生じた場合には,その物体は同一の形相を維持することができず,本性も同様に保持されることはないというように読解できると思います。ただし,今は安全重視で,個物の存在を,神の属性,物体に限定するなら延長の属性に包含されている場合で考えていますので,念のための注釈が必要になります。
 別に物体に限った話ではなく,一般にある本性が別の本性に変化するということはあり得ません。これはたとえば人間の本性が馬の本性に変化することはないという意味で,当然のことです。第二部定義二の意味は,事物の本性はその事物の存在を定立するということですから,もしこのような変化が生じるなら,現に人間であるすべてのものが馬になると主張しているのと同じで,とくに説明するまでもなく不条理であるからです。また,こうした理由により,ある本性を有するものが現実的に存在することを止めたとしても,そのものの現実的本性が消滅するだけで,本性そのものは消滅するわけではありません。たとえば現実的に存在していたXという人間が,その現実的存在を停止する,つまり死んだとしても,確かにXの現実的本性はそれと同時に消滅するといえますが,一般に人間の本性まで消滅してしまうわけではありません。もしそれも消滅すると主張するなら,前述のことからして,Xの死と共にすべての人間が消滅すると主張しなければならなくなりますが,これは明らかに不条理だからです。
 一方,現実的に存在する物体の運動と静止の割合が変化することによって,その物体がそれまでの本性を維持することができなくなるということは,生じ得ます。一般にAの本性がBの本性に変化するということはあり得ないことですが,Aの本性を有していたものがBの本性を有するものになるということはあり得る,というよりも現にあるからです。少なくとも化学的変化として説明することが可能なあらゆる物質の変化は,この事例に該当するといえます。したがって冒頭の僕の仮定は,非現実的な主張ではないということになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする