スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

瀬戸の王子杯&物体と運動および静止

2014-03-03 18:58:46 | 競輪
 今週と来週の記念競輪は瀬戸内。まずは本州側の玉野記念の決勝。並びは根田-宗景の東日本,三ツ石-石丸-岩津-豊田の四国中国,菅原-合志の九州に渡辺。
 押し出されるように根田がスタートを取らされて前受け。3番手に菅原,6番手から三ツ石で周回。三ツ石は残り2周のホーム前から上昇開始。ホームでは菅原が併せて出て,根田は引くほかありませんでした。コーナーを過ぎると三ツ石が前に。そのまま地元勢が続くと打鐘を待たずにバックから発進。踏み遅れた菅原が車間の開いた5番手で,根田も車間の開いた8番手となり,地元勢には絶好の展開。隊列は変わらずバックから石丸が二段駆け。こうなっては後ろはどうしようもありません。直線では岩津がわりと楽に差し込んで優勝。石丸が1車身差の2着で地元のワンツー。捲った菅原の勢いを得た合志が伸びて1車身差の3着に入線。
 優勝した岡山の岩津裕介選手は一昨年3月の玉野記念以来の記念競輪4勝目。玉野記念は2009年12月にも優勝していて3勝目。有力選手の敗退が相次ぎ,記念競輪としてはやや貧弱といえるメンバー。そこへ地元勢が多く乗ってきましたのでこれは大チャンス。石丸の位置に絡まれた場合のみが心配されましたが,結果的にそういう展開とはなりませんでした。三ツ石まで含め,四国中国の結束の結果としかいいようがありません。

 第一部定理二二は,間接無限様態が直接無限様態を原因として生起するという意味を含んでいると僕は解します。とはいえ,直接無限様態であれ間接無限様態であれ,無限様態は必然的に,必然の第一のタイプの意味において必然的に存在します。だからこれは,直接無限様態が間接無限様態に対して,時間的な意味において先行するという意味ではありません。永遠の観点は時間によっては認識され得ないからです。
 第一部定理一は,実体が本性の上で様態に「先立つ」ことを示しています。直接無限様態と間接無限様態の関係は,これとは少しばかり異なるといえる面がありますが,これに類する関係ではあります。なぜなら,強い意味の内容が真理であるのなら,この限りにおいて,原因は結果に先立つものでなければなりません。そこで原因に一般の本性を抽出し,また結果に一般の本性を抽出したならば,原因と結果では,その各々の本性の上で,原因の方が先立つということが帰結すると理解できるからです。少なくともこの意味において,直接無限様態は間接無限様態に本性の上で先立つと把握することは,極端な誤りではないと思います。
 延長の属性の間接無限様態は,不変の形相を有するものとしての全宇宙です。この宇宙の内部においては,無限に多くの物体が,生成し,変化し,消滅するということが現実的に生じます。このことは,スピノザが,個物res singularisは無限様態を媒介として生起するというときの,媒介を解するヒントとなり得るでしょう。しかし今はその結論を急いで導き出す必要はありません。
 不変の形相を有する全宇宙の内部で諸々の物体がある作用をするというのは,他面からいうなら,どんな物体も不変の形相をした宇宙の中でのみ作用するということです。そしてその不変の形相をした宇宙に対して,延長の属性の直接無限様態である運動と静止は,本性の上で先立つのです。
 これらのことから帰結するのは,ある物体が何らかの作用をなすとき,そのことについてその物体が運動し,また静止するといわれるのでは必ずしもないということです。むしろ運動と静止が本性の上で先立ち,そこから物体自体も物体の作用も生起するのです。
コメント
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