スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&第一部定理一三

2014-03-13 19:23:27 | 将棋
 島根県大田市で対局があった第63期王将戦七番勝負第六局。
 羽生善治三冠の先手で渡辺明王将の急戦矢倉。もっとも本格的な戦いは先手の仕掛けによって始まりましたので,実際の戦型とその戦型の名称との間にやや紛らわしさが残るような一局。途中から後手が攻め合いにいく構えを見せました。
                         
 ☗1二歩☖同香の後に6筋の歩を取り込んだ局面。ここで銀を逃げずに☖3九角と打ち込みましたが,ひどい手であったという感想戦の談話が残されています。先手は飛車は逃げずに☗6三歩成。すぐに飛車を取ると駒損で後手を引きますから☖7六歩と取り込みました。ここから☗7三と☖7七歩成☗同金上まではほぼ一直線でしょう。後手は☖7六歩と叩き,☗7八金と進みました。
                         
 ここからは飛車の取り合いになるのが当然で,☖2八角成だったのですが,この手が最後の疑問手だったようで,一旦☖6六歩とこちらも叩き,☗6八金引とさせてから飛車を取らなければいけなかったよう。実戦ははっきりと先手の一手勝ちのコースに進みました。
 羽生三冠が勝って3勝3敗のイーブンに。決着局となる第七局は26日と27日です。

 ブルーノは火炙りにされ,ガリレオは宗教裁判にかけられた時代です。デカルトRené Descartesは地動説を支持していましたから,それだけでもスピノザがいうところの迷信から脱却できていなかった保守反動的な陣営から論難される条件を有していたことになります。ましてデカルトよりも唯物論的とみてとれるようなスピノザの思想が,無神論と結び付けられたのは,むしろ自然の成り行きであったことでしょう。また,デカルトの信奉者であったカルテジアンたちは,その立場からより過激思想と目することが可能なスピノザを非難することができたわけで,ある意味では都合のよい存在であったという見方もできるように思えます。
 とはいえ,延長の属性Extensionis attributumを神Deusの本性essentiaに帰するというところにスピノザの意図があると汲み取ったとしても,それはただそうした意図だけで可能となるものではありません。そのことを肯定する論理が必要とされるからです。実際にはそうした論理の方が先にあって,そこから第一部定義六が発生したとみるのが妥当でしょうが,少なくともスピノザにその意図があったと仮定しても,さらにそれを正当化するだけの論理的必然性をスピノザはきちんと形作ったということは間違いありません。その論理構成を検討していきましょう。
 まず,第一部定理一二において,実体substantiaは属性によって分割することが不可能であるといわれます。この帰結として,単一の実体が複数の属性によって構成されるということが可能であるということになります。もしあるものが分割され得るなら,それは実体として存在できません。しかし属性によって分割することが不可能であるなら,たとえばある実体AがXとYという属性からその本性を構成されていたとしても,そのことによって分割されることはないということになるからです。もっとも,その直前の第一部定理一一というのは,絶対に無限absolute infinitumである実体,いい換えれば無限に多くのinfinita属性によってその本性を構成される実体が実在することを示していますので,この帰結はすでに正当化されていたと理解することも可能です。
 これらを受けて第一部定理一三では次のようにいわれます。
 「絶対に無限な実体は分割されない」。
コメント
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