スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ジャイアント・キマラ&第二部定理九証明

2012-02-13 18:31:02 | NOAH
 黒い呪術師が全日本に復帰した後,主要なパートナーとして起用されたジャイアント・キマラ。キマラは1号,2号とふたりいたわけですが,いずれもキャラクターが前面に出たレスラーであったという点では変わりありません。僕はどちらが1号でどちらが2号なのか,分からないこともあったくらいです。
 キャラクターが前面に出るということは,裏を返せば試合の内容は評価の対象外とはいいませんが,重要視されていないということ。ではキマラのファイトスタイルがプロレスラーとして評価されていなかったのかといえば,必ずしもそんなことはなかったのではないかと僕は思っています。
 ジャイアント・馬場は1990年11月30日に,試合中のアクシデントで左大腿骨の亀裂骨折という大けがに見舞われました。このため半年ほど欠場に追い込まれ,復帰したのが翌年6月1日の日本武道館大会。これも僕がライブ観戦した日です。このとき,復帰戦の相手に選ばれたのが,ブッチャーとキマラ1号,キマラ2号だったのです。
 馬場はこのときすでに53歳。この年齢での復帰戦というのはかなり難しいものがあった筈で,対戦相手もよほどの理解が必要。相手はおそらく馬場自身が指名した筈であり,それに選ばれたということが,キマラが馬場に評価されていたことの証明ではなかったかと僕は思うのです。
 この試合は馬場が見事に勝利を飾って終るのですが,フィニッシュホールドはおそらくそれまでの馬場は使っていなかったDDTでした。それが非常に素晴らしい見栄えのDDTで,観戦していた僕は驚きました。このDDTに文句のつけようがないくらいの説得力があったのは,受けたキマラの力量も大きく介在したのではないかと思います。今にして思えば,なぜこのときの馬場が,自身の復帰戦の相手にブッチャーとキマラを選んだのか,何となく合点がいくのです。

 あくまでも第二部定理九系とは別個の定理として,いい換えればそこには系が含まれていないという認識のもとで,第二部定理九に関する考察を開始します。まずはこの定理を証明しておきます。僕の理解では,この定理の証明のために注意するべき点はふたつです。
 第一部定理一五により,もしもある個物の観念があるとするなら,それは神のうちにあります。したがってどんな個物の観念も,それを神と関係づけて説明することができます。よってそれは第二部定理三二により真の観念です。したがってそれは第一部公理六により,観念の対象ideatumと一致します。つまりその対象が個物であるような観念は,それ自体が個物であるということになります。よってそれは第一部定理二三により,神の絶対的な本性から生ずることはできません。むしろ第一部定理二八により,ある個物に変状した限りでの神を原因とすることになります。いい換えればそのような仕方で神と関連付けてその発生が説明されなければなりません。これが第一の点です。
 一方,第二部定理五により,観念の起成原因というのは,その観念の対象ではありませんし,また絶対に無限である神でもありません。それは思惟する限りでの神,いい換えれば神の思惟の属性です。これが第二の点です。
 第一の点により,神の思惟する絶対的な力が,あるいは同じことですが,神の思惟の属性の絶対的な本性が,ある個物の観念の原因であるということはできません。第二の点により,もしも神が思惟の属性以外の何らかの属性の個物に変状した場合には,その個物はどんな個物の観念の起成原因にもなり得ません。よって,個物の観念の原因は,その個物の観念とは別の個物の観念に変状した限りでの神,とくに神の思惟の属性です。しかしその別の個物の観念についてもこれと同様のことがいえます。したがってこの原因と結果の連鎖が無限に進むということになります。
コメント
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