スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ダイオライト記念トライアル報知グランプリカップ&無限に進む

2012-02-09 18:31:21 | 地方競馬
 天候は回復したものの,不良馬場でのレースとなった昨日の第48回報知グランプリカップ
 このレースがおよそ1年ぶりの出走になったノースダンデーの逃げ。ルクレルク,ケイアイライジンと同じ厩舎の2頭が並ぶように続き,人気に推されたスターシップは中団の外目を追走。最初の800mは48秒1のハイペースですが,馬場状態を考えれば前の組に不利な流れではなかったように思います。
 久々のノースダンデーは3コーナーを回ると一杯。自然と前の2頭が並ぶように交わし,直線はこの2頭でほぼマッチレース。外のケイアイライジンが前に出ようとすると内のルクレルクも盛り返そうとし,なかなかはっきりとした決着はつかなかったものの,先んじたケイアイライジンが追撃を凌いで優勝。ルクレルクが2着。スターシップはよく追い込んだものの3着まで。
 優勝したケイアイライジンはJRAでは2009年のプリンシパルステークスなど4勝。昨年6月から南関東で走り始め,これが初勝利。当然ながら南関東重賞も初制覇。JRA時代の実績からはこのメンバーなら勝負になる馬で,ここにきて体調もよくなっていたのだろうと思います。おそらくこれくらいの距離がベストパフォーマンスを発揮できるのでしょう。
 騎乗した船橋の川島正太郎騎手は先月の船橋記念に続き今年の船橋での南関東重賞を連勝。グランプリカップは初勝利。管理している父の川島正行調教師は第38回,第43回,第46回に続き2年ぶりの4勝目。

 これは第一部定理二八の場合にも同様なのですが,第二部定理九において因果関係の連結が無限に進むといわれているとき,そこにはある消極的な意味が含まれているのだというのが僕の考え方です。これは,ある特定のひとつの個物,ないしはそうした個物の観念を抽出し,その原因,さらにその原因,さらにまたその原因というように遡及していっても,この連鎖は無限に続いていくだけであって,第一原因に辿りつけるというわけではないということです。つまりこれは方法論としての帰納法の否定です。事物は原因から結果に辿る演繹法によって十全に把握することが可能になるのです。つまり第二部定理九というのは,第一部公理四第一部公理三と,実は直接的に関係している定理であるというのが僕の考えです。
 しかしもしも第二部定理九における無限に進むというこの連鎖を,ある積極的な要素として把握しようとすればどうなるでしょうか。それはおそらく,このような無限連鎖を,一部分だけを抽出してみるのではなく,その全体として考えてみた場合には,これを認識し得る知性というのは,神の無限知性だけであるということだと僕は思います。そもそもたとえば人間の精神のような有限である知性は,それを十全に認識するのであれ混乱して認識するのであれ,有限な,いい換えれば数え上げることができるだけの観念のみを認識するから有限な知性といわれるわけです。つまり有限な知性が無限に多くのものを認識するということは,それ自体で不条理であるわけです。よって,第二部定理九をその全体で考えれば,それを認識するのは神の無限知性だけであるということになるでしょう。
 スピノザの哲学では,神の無限知性というのは思惟の属性の直接無限様態です。よってそれは第一部定理二一の仕方で,神の思惟の属性から発生します。したがって,ある特定の個物だけを抽出して,この個物の観念の原因は何かと考えれば,それはそれとは別の個物の観念,つまり別の個物の観念に変状した限りでの神であるということになるのですが,もしも第二部定理九を全体として考えるなら,それはむしろ神の思惟する絶対的な力を原因として発生すると考えることもできるのではないかと思います。
コメント
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