月末から開催されるダービーに向けて各選手の仕上がり具合が気になってくる頃。今月の記念競輪はそういう意味でも重要で,今日は高松記念の決勝。並びは山崎-伏見-内藤の北日本,鈴木ー林の南関東,深谷-坂上の中部,村上ー香川で西日本。
前受けは鈴木で3番手に村上,5番手に山崎で8番手から深谷という周回だったようです。まず山崎が動いて残り2周のホームで誘導の後ろに。これをバックで深谷が叩くと,村上がさらに外から行く構えを見せて打鐘。しかし坂上の再三にわたる牽制で村上は出られず,深谷の先行に。8番手に置かれた鈴木はホームから発進しましたがバックの入口でははや一杯。バックから今度は山崎が発進するもこれも出られず,後続に付け入るすきを与えずに逃げ切った深谷の優勝。山崎の勢いをもらった伏見が猛然と追い込んで2着。いい仕事をした坂上は3着。
優勝した愛知の深谷知広選手は先週の西王座戦に続く2週連続の優勝で,その前のレースが年頭の立川記念でしたので,今年のレースはすべて優勝。記念競輪は4勝目。天候の関係で後ろの選手はレースがしにくかった面はあったかと思いますが,捲りを封じこんでの逃げ切りですので今日は強かったです。当然,ダービーでも有力候補のひとりでしょう。

ここで,僕が今回の考察のテーマとして,第二部定理九を選択した戦略的意味を説明しておきます。
まず,精神というのは,それがどのように考えられようともある思惟の様態です。したがって,それは第二部公理三により,まず何らかの観念によって構成されることになります。ここでは人間の精神による事物の認識について考察しますから,人間の精神に限定していうなら,第二部定理一三により,その人間の身体の観念によって構成されるということになります。
次に,僕は人間の精神が,属性の共通概念を有するということについては,第二部公理五により,思惟の属性と延長の属性だけではありますが,そのことを認めます。また,ここでは詳しくは紹介しませんが,スピノザは第二部定理四七において,人間の精神が神の本性を十全に認識するといっています。第二部定義二からして,これは人間の精神が神を十全に認識するといっていると解釈して差し支えないと僕は考えます。これらのことから理解できるのは,人間の精神を構成する観念の対象ideatumは,必ずしも個物だけではないということです。したがって,第二部定理九が,人間の精神によるすべての思惟作用,なかんずく認識作用を網羅するというようには僕は考えていません。しかし,現実に人間の精神を構成する観念の対象というのは,そのほとんどが個物である,そしてそれは再び第二部公理五により物体であるということは,否定できないと思います。したがって,もしもどのような仕方である人間の精神のうちに,とくにここではそれ自体が個物として現実的に存在する人間の精神による事物の認識を考察の対象としますので,現実的に存在している人間の精神のうちに,どのようにしてある個物の観念が発生するのかということを具体的に示すことができるなら,それによって人間の精神による事物の認識のあり方の大半ないしは大部分が解明されるということになると僕は考えるのです。そして第二部定理九のうちには,いかにして個物の観念が発生するかを示す要素があると僕は考えています。このために僕は今回は第二部定理九をテーマとして設定したのです。
前受けは鈴木で3番手に村上,5番手に山崎で8番手から深谷という周回だったようです。まず山崎が動いて残り2周のホームで誘導の後ろに。これをバックで深谷が叩くと,村上がさらに外から行く構えを見せて打鐘。しかし坂上の再三にわたる牽制で村上は出られず,深谷の先行に。8番手に置かれた鈴木はホームから発進しましたがバックの入口でははや一杯。バックから今度は山崎が発進するもこれも出られず,後続に付け入るすきを与えずに逃げ切った深谷の優勝。山崎の勢いをもらった伏見が猛然と追い込んで2着。いい仕事をした坂上は3着。
優勝した愛知の深谷知広選手は先週の西王座戦に続く2週連続の優勝で,その前のレースが年頭の立川記念でしたので,今年のレースはすべて優勝。記念競輪は4勝目。天候の関係で後ろの選手はレースがしにくかった面はあったかと思いますが,捲りを封じこんでの逃げ切りですので今日は強かったです。当然,ダービーでも有力候補のひとりでしょう。

ここで,僕が今回の考察のテーマとして,第二部定理九を選択した戦略的意味を説明しておきます。
まず,精神というのは,それがどのように考えられようともある思惟の様態です。したがって,それは第二部公理三により,まず何らかの観念によって構成されることになります。ここでは人間の精神による事物の認識について考察しますから,人間の精神に限定していうなら,第二部定理一三により,その人間の身体の観念によって構成されるということになります。
次に,僕は人間の精神が,属性の共通概念を有するということについては,第二部公理五により,思惟の属性と延長の属性だけではありますが,そのことを認めます。また,ここでは詳しくは紹介しませんが,スピノザは第二部定理四七において,人間の精神が神の本性を十全に認識するといっています。第二部定義二からして,これは人間の精神が神を十全に認識するといっていると解釈して差し支えないと僕は考えます。これらのことから理解できるのは,人間の精神を構成する観念の対象ideatumは,必ずしも個物だけではないということです。したがって,第二部定理九が,人間の精神によるすべての思惟作用,なかんずく認識作用を網羅するというようには僕は考えていません。しかし,現実に人間の精神を構成する観念の対象というのは,そのほとんどが個物である,そしてそれは再び第二部公理五により物体であるということは,否定できないと思います。したがって,もしもどのような仕方である人間の精神のうちに,とくにここではそれ自体が個物として現実的に存在する人間の精神による事物の認識を考察の対象としますので,現実的に存在している人間の精神のうちに,どのようにしてある個物の観念が発生するのかということを具体的に示すことができるなら,それによって人間の精神による事物の認識のあり方の大半ないしは大部分が解明されるということになると僕は考えるのです。そして第二部定理九のうちには,いかにして個物の観念が発生するかを示す要素があると僕は考えています。このために僕は今回は第二部定理九をテーマとして設定したのです。