スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ブッチャーとシン&配置の意味

2012-02-04 18:26:34 | NOAH
 全日本のブッチャーパートナーにはわりと恵まれていたと僕は思っています。このうち,新日本からUターンした後のパートナーはジャイアント・キマラだったのですが,実際にはこれは戻って少し時間が経過してからのこと。戻ってすぐに与えられたパートナーというわけではありませんでした。
 ブッチャーが全日本に戻ってきたのは1987年。この当時の全日本プロレスの外国人選手のエースはスタン・ハンセンでしたが,はっきりとしたヒールと戦っていたのはタイガー・ジェット・シンで,ブッチャーはこの後,一時的にこのシンとタッグを組むことになりました。このチームで世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場しています。
 シンはブッチャーが新日本プロレスに引き抜かれた直後に,『マイクは死んでも離さない』で少しだけ触れた外国人選手の引き抜き合戦の第一弾として新日本から引き抜いてきた選手。このことからも分かるように,ブッチャーと同様にシンもまたエースクラスのヒール選手でしたから,このチーム結成には当初から無理がありました。実際にこのふたりはブッチャーとアラビアの怪人がそうであったように仲間割れ。この仲間割れは必然的であったと考えていいでしょう。その後,このふたりは抗争に突入。これはちょうど全日本プロレスが新装なった東京都体育館で最初のプロレス興行を行った時期のこと。この東京都体育館ではタッグで対戦していますし,このシリーズの最終戦,これは三沢が鶴田に挑んでフォール勝ちを収めた日本武道館大会ですが,ここではシングルマッチで対戦しています。つまり僕はこの2試合はライブ観戦しているわけです。ただ正直なところこの時点ではブッチャーもシンもはっきりと峠を越えたレスラーだったといってよく,試合自体はあまり面白いものではありませんでした。
 この後,シンは全日本マットからは疎遠になり,ブッチャーが残りました。そうして与えられたパートナーがキマラであり,このキマラを与えられたことにより,ブッチャーはもう少しだけ長く,全日本プロレスに居場所を作ることができたのです。

 スピノザが『エチカ』の中で第二部定理九系をこの位置に配したのは,それが第二部定理九から必然的に帰結するべき事柄であると考えていたからです。僕は第二部定理九系のうちに,それ自体で因果論的観点が含まれているとは考えません。僕が平行論的証明によってこの系が証明し得ると考えている理由もそこにあるといえます。しかし,第二部定理九というのは明らかに因果論的観点を示したものといえます。これはそれ自体で明らかでしょう。したがって,スピノザがおそらくそのように考えているであろうように,第二部定理九系の中に因果論的観点が含まれていて,そこに十全な原因と部分的原因という分節が考慮に入れられているのであるとすれば,そのことはひとえに,第二部定理九においてそうした観点というものがどのように考えられているのかということだけが重要なポイントとなってくると僕は思います。そしてこのことが,実は第二部定理九系には,第一義的にはそうした考慮が含まれていないのではないかと僕が考える最大の理由となっているのです。
 というのは,第二部定理九というのも,単にそれ自体だけでみるならば,そこには十全な原因と部分的原因という分節をむしろ無効と化してしまう要素が含まれていると僕には考えられるからです。なぜなら,この定理は個物の観念の原因は別の個物の観念であり,その別の個物の観念の原因もそれとはまた別の個物の観念であるという具合に,因果関係の連鎖が無限に続くということが第一に示されています。このとき,最初に示されるべき個物の観念のみを眼中においたならば,その個物の観念が十全な観念であっても混乱した観念であっても同様にこの定理は適用されると僕は理解します。
 この定理が,個物の十全な観念について妥当であるということは,とくに説明するまでもないでしょう。このことは第二部定理七系の意味から明らかなのであって,『エチカ』において単に観念といわれるならば,それはまず神の無限知性を構成するものとしての十全な観念であると理解されなければならないからです。もしもそうでないならば,それは神の外にある何らかの観念について考察しているということになってしまいますが,それは第一部定理一五からして不条理といえるからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする