スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&必然性の意味

2012-02-17 18:55:55 | 将棋
 うなぎ,バイク,ピアノなどで知られる静岡県浜松市での対局となった第61期王将戦七番勝負第三局。
 佐藤康光九段の先手で久保利明王将のごきげん中飛車。この将棋も③▲4八銀から互いに4筋に銀を繰り出す展開。相穴熊になることが多いのですが,本局は後手の穴熊に対して先手が急戦を仕掛ける展開となりました。時間の使い方からみて,双方がある程度まで研究してあったと思うのですが,後の手順から考えると後手の対応はまずかったのではないかと昨日の時点で思えました。
                         
 これが1日目終了時点で封じ手は△5六桂。▲5八金寄と逃げつつ馬取り。△3六馬と逃げたのに対して▲4五銀打の馬桂両取り。△2七馬はこれ以外は桂馬を取られますからこの一手。▲6五銀上と桂馬を取りにいきました。△5七歩の叩きにはあくまでも桂馬は取ると▲4七金。そこで後手は△4五馬と切り,▲同銀に△6八銀と打っていきました。
                         
 今日は午前中にアクセスすることができたのですが,それがこの局面。よく考えることはできませんでしたが,えらく差がついてしまっているのではないかと思えました。実際にその直感は正しかったよう。後手の攻めを完全に切らせた先手が反撃に転じ,圧勝しています。
 佐藤九段が3連勝。両者は初顔合わせの頃から勝ったり負けたりを繰り返し,現在でも対戦成績は拮抗していますから,このまま一方的に終ってしまうことはないだろうと思うのですが,どうなるでしょうか。第四局は来週の水曜と木曜です。

 個物Bの観念が原因となって個物Aの観念が発生するというときに,ある必然性があるということは,個物Bの観念からは必然的に個物Aの観念が発生しなければならないということを意味します。これが第一部公理三ふたつの意味のうち,強い意味の方に含まれている内容だからです。ということは,もしもある何らかの知性のうちに,個物Bの観念が存在するならば,その知性のうちには,個物Aの観念が必然的に発生するということになります。個物の観念の無限連鎖のこの一部分だけを抽出してみたときに,第二部定理九がここまでの内容を同時に含んでいるということは,僕には確かなことであると思われます。
 次に,この部分だけを抽出した場合に,第二部定理九というのは,個物Aの観念の原因は,個物Bの観念に変状した限りでの神であると説明されています。いい換えれば,個物Bの観念がこの仕方で神と関連付けられているわけです。したがって第二部定理七系の意味から,個物Bの観念と個物Aの観念は十全な観念として考えられていることになります。よって,少なくとも個物Bの観念が十全な観念であるとみられる限りにおいては,このことはどんな知性のうちにある個物Bと個物Aの観念との間で妥当しなければなりません。ここでは人間の精神ないしは知性による個物の認識のあり方が考察の対象となっていますので,それだけに限定するならば,このことは第二部定理一一系第二部定理四〇から明らかだといえます。
 しかし同様のことは,ある人間の精神のうちにBの混乱した観念がある場合にも妥当しなければなりません。というのは,これが意味しているのは,再び第二部定理一一系により,この人間の精神とさらにほかのものの観念を有する限りで神のうちにBの観念があるという意味であり,この仕方で説明されるのならBの観念は十全な観念だからです。そしてその個物Bの十全な観念を有する限りで個物Aの観念が必然的に発生するというのがこの部分の仮定ですから,同じように説明される限りで神のうちにはAの十全な観念があるということになります。前の例と異なるのは,この場合には,このAの観念がある人間の精神とのみ関連付けられるなら,それもまた混乱した観念であるということになるという点だけだからです。
コメント
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