優勝馬には日本テレビ盃への優先出走権が与えられるスパーキングサマーカップ。
エスプリベンの逃げ。これをインターセフォーとフォースキックが追っていきました。これは予想通りだったのですが,僕が中心に期待したシンメイレグルスは後方の内。こちらは予想外。前半の800メートルは49秒1。一応はハイペースでしょうが,ミドルペースに近いです。
逃げたエスプリベンが直線に入ったところで後続との差を大きく広げました。これはやられたかと思ったのですがここから失速。中団に構えてスムーズに進出してきたベルモントサンダーが追われると弾けるように伸び,最後は4馬身の差をつけての圧勝。苦しいレースとなったシンメイレグルスですが,ゴール直前でエスプリベンを捕え,何とか2着は確保。逃げたエスプリベンは3着まで。
優勝したベルモントサンダーは昨年11月のアフター5スター賞以来の勝利で南関東重賞2勝目。ベストより長い距離だと思いますが,この馬は重賞クラスですので,この距離でも能力が違いすぎました。
鞍上は船橋の石崎駿騎手で,昨年暮れの東京シンデレラマイル以来の南関東重賞制覇。このレースは今年が第5回とまだ歴史が浅く,船橋の出川克己調教師ともども,スパーキングサマーカップは初制覇です。
シンメイレグルスもおそらくは重賞レベルにある馬。最後は底力を見せてくれたと思います。しかしベルモントサンダーよりも後ろの位置取りでは…。
残るは第二の意味と第三の意味がいかに成立するのかという点です。これを考えるために,十全な観念と混乱した観念との関係を,有と無との関係としてとらえるという方法を試みました。このように考えるなら,第二の意味も第三の意味も,その成立を否定するためには,無から有が生じるということを主張せざるを得なくなり,こうした主張というのはそれ自体で不条理であるといえるからです。
しかし,このための障害となるように思われる定理が『エチカ』にはあります。それが第二部定理三六です。ここでは,混乱した観念が十全な観念と同一の必然性で生じるといわれています。しかしもしもあるものがある必然性の下に生じるといわれるならば,スピノザの哲学においてはこれは,むしろそれはある実在性を有するものである,いい換えれば有であるとしか考えられないからです。よってここでいわれている混乱した観念の必然性というのをどのように考えるのかということが,課題として出てくることになります。
このときに僕が注目してみたのは,この第二部定理三六をスピノザが証明しているときに,最後に依拠した第二部定理六系です。そしてこれについて,たとえば月の場合のような例で考えてみれば,確かに十全な観念と混乱した観念との必然性の同一性を主張するということは,問題がないという結論に達することができました。
エスプリベンの逃げ。これをインターセフォーとフォースキックが追っていきました。これは予想通りだったのですが,僕が中心に期待したシンメイレグルスは後方の内。こちらは予想外。前半の800メートルは49秒1。一応はハイペースでしょうが,ミドルペースに近いです。
逃げたエスプリベンが直線に入ったところで後続との差を大きく広げました。これはやられたかと思ったのですがここから失速。中団に構えてスムーズに進出してきたベルモントサンダーが追われると弾けるように伸び,最後は4馬身の差をつけての圧勝。苦しいレースとなったシンメイレグルスですが,ゴール直前でエスプリベンを捕え,何とか2着は確保。逃げたエスプリベンは3着まで。
優勝したベルモントサンダーは昨年11月のアフター5スター賞以来の勝利で南関東重賞2勝目。ベストより長い距離だと思いますが,この馬は重賞クラスですので,この距離でも能力が違いすぎました。
鞍上は船橋の石崎駿騎手で,昨年暮れの東京シンデレラマイル以来の南関東重賞制覇。このレースは今年が第5回とまだ歴史が浅く,船橋の出川克己調教師ともども,スパーキングサマーカップは初制覇です。
シンメイレグルスもおそらくは重賞レベルにある馬。最後は底力を見せてくれたと思います。しかしベルモントサンダーよりも後ろの位置取りでは…。
残るは第二の意味と第三の意味がいかに成立するのかという点です。これを考えるために,十全な観念と混乱した観念との関係を,有と無との関係としてとらえるという方法を試みました。このように考えるなら,第二の意味も第三の意味も,その成立を否定するためには,無から有が生じるということを主張せざるを得なくなり,こうした主張というのはそれ自体で不条理であるといえるからです。
しかし,このための障害となるように思われる定理が『エチカ』にはあります。それが第二部定理三六です。ここでは,混乱した観念が十全な観念と同一の必然性で生じるといわれています。しかしもしもあるものがある必然性の下に生じるといわれるならば,スピノザの哲学においてはこれは,むしろそれはある実在性を有するものである,いい換えれば有であるとしか考えられないからです。よってここでいわれている混乱した観念の必然性というのをどのように考えるのかということが,課題として出てくることになります。
このときに僕が注目してみたのは,この第二部定理三六をスピノザが証明しているときに,最後に依拠した第二部定理六系です。そしてこれについて,たとえば月の場合のような例で考えてみれば,確かに十全な観念と混乱した観念との必然性の同一性を主張するということは,問題がないという結論に達することができました。