新設された牝馬限定の南関東重賞の第1回東京シンデレラマイルは,30日に大井競馬場で行われました。
先手を奪ったのはトキノミスオースで,スズランメイクが2番手。エンタノメガミとパフィオペディラムがその後ろ。前半の800メートルは49秒5。完全なミドルペースです。
いつもより前目の位置につけたベルモントノーヴァが向正面で早くも上昇。2番手まで上がりました。このときパフィオペディラムは激しく手が動き,ついていけません。
直線はトキノミスオースとベルモントノーヴァのマッチレース。トキノミスオースがかなり粘りましたが,馬体を少し離して追ったベルモントノーヴァがゴール前で競り落とし優勝。トキノミスオースが2着。7馬身離された3着には,中団から差し込んだエトワールフルーヴが入っています。
優勝したベルモントノーヴァは9月のトゥインクルレディー賞以来の勝利で南関東重賞3勝目。船橋の石崎駿騎手はアフター5スター賞以来の南関東重賞制覇。ペースと馬場状態を考えれば,いつもより前の位置でレースを進めたのは好判断であったと思います。もう少し楽に勝てそうな感じもありましたが,そこは2着馬とは斤量差がありましたから仕方がないでしょう。
逆にトキノミスオースは,斤量差を利した面があったかもしれませんが,ベルモントノーヴァとこれだけ戦えれば上々。年上相手でも,牝馬限定戦なら南関東重賞では目の離せない存在になったといえるでしょう。
パフィオペディラムは不可解な大敗というよりありません。馬場状態を苦にしたか,あるいは連戦の疲れが蓄積されていたかもしれません。
明日は川崎でオールスターカップ。ここは笠松から遠征の2頭,マルヨフェニックス◎とミツアキタービン○に期待。ビッググラス▲,レッドドラゴン△,ガッサンプリンス△まで。
悪の認識ということ,また悪の忌避ということに関して,スピノザの哲学では,僕たちが常識的に考えているような道徳的な意味での善悪とは乖離している点があることが分かりました。ところで,人間にとっての悪malumとは,個人個人の実在性realitasあるいは完全性perfectioが低下してしまうようなことを意味するわけですが,この完全性の低下を,現在のテーマである感情論と結びつけて考えた場合に,重要であるといえる感情affectusがあります。それは基本感情affectus primariiのひとつである悲しみtristitiaという感情です。そこで,この悲しみの定義Definitioである第三部諸感情の定義三をみておくこととします。
「悲しみとは人間がより大なる完全性からより小なる完全性へ移行することである」。
ある人間が大きな完全性から小さな完全性に移行するということは,この人間からみた場合,明らかに完全性すなわち実在性の低下を意味していると思います。したがってこれは,ここまでの考察からして,この人間にとっての不利益であるということになるでしょう。よってこれは第四部定義二における悪そのものにほかなりません。したがって,僕たちにとっての悪とは,僕たち自身が意識する限りでの,僕たち自身の悲しみの認識cognitioにほかならないということになります。厳密にいえば喜びlaetitiaと善bonumとの関係についても言及していますから,部分的にということにはなりますが,これを端的に示しているのが第四部定理八であるということになると思います。この定理Propositioに関しては,悲しみと悪だけに関係した現在の論点からはもうさすがに証明する必要もないと思いますので,ここでは省略します。悪と悲しみは単に概念notioとしてだけ区別することができるというこの考え方も,やはりスピノザの哲学の大きな特徴のひとつであるといっていいと思います。
先手を奪ったのはトキノミスオースで,スズランメイクが2番手。エンタノメガミとパフィオペディラムがその後ろ。前半の800メートルは49秒5。完全なミドルペースです。
いつもより前目の位置につけたベルモントノーヴァが向正面で早くも上昇。2番手まで上がりました。このときパフィオペディラムは激しく手が動き,ついていけません。
直線はトキノミスオースとベルモントノーヴァのマッチレース。トキノミスオースがかなり粘りましたが,馬体を少し離して追ったベルモントノーヴァがゴール前で競り落とし優勝。トキノミスオースが2着。7馬身離された3着には,中団から差し込んだエトワールフルーヴが入っています。
優勝したベルモントノーヴァは9月のトゥインクルレディー賞以来の勝利で南関東重賞3勝目。船橋の石崎駿騎手はアフター5スター賞以来の南関東重賞制覇。ペースと馬場状態を考えれば,いつもより前の位置でレースを進めたのは好判断であったと思います。もう少し楽に勝てそうな感じもありましたが,そこは2着馬とは斤量差がありましたから仕方がないでしょう。
逆にトキノミスオースは,斤量差を利した面があったかもしれませんが,ベルモントノーヴァとこれだけ戦えれば上々。年上相手でも,牝馬限定戦なら南関東重賞では目の離せない存在になったといえるでしょう。
パフィオペディラムは不可解な大敗というよりありません。馬場状態を苦にしたか,あるいは連戦の疲れが蓄積されていたかもしれません。
明日は川崎でオールスターカップ。ここは笠松から遠征の2頭,マルヨフェニックス◎とミツアキタービン○に期待。ビッググラス▲,レッドドラゴン△,ガッサンプリンス△まで。
悪の認識ということ,また悪の忌避ということに関して,スピノザの哲学では,僕たちが常識的に考えているような道徳的な意味での善悪とは乖離している点があることが分かりました。ところで,人間にとっての悪malumとは,個人個人の実在性realitasあるいは完全性perfectioが低下してしまうようなことを意味するわけですが,この完全性の低下を,現在のテーマである感情論と結びつけて考えた場合に,重要であるといえる感情affectusがあります。それは基本感情affectus primariiのひとつである悲しみtristitiaという感情です。そこで,この悲しみの定義Definitioである第三部諸感情の定義三をみておくこととします。
「悲しみとは人間がより大なる完全性からより小なる完全性へ移行することである」。
ある人間が大きな完全性から小さな完全性に移行するということは,この人間からみた場合,明らかに完全性すなわち実在性の低下を意味していると思います。したがってこれは,ここまでの考察からして,この人間にとっての不利益であるということになるでしょう。よってこれは第四部定義二における悪そのものにほかなりません。したがって,僕たちにとっての悪とは,僕たち自身が意識する限りでの,僕たち自身の悲しみの認識cognitioにほかならないということになります。厳密にいえば喜びlaetitiaと善bonumとの関係についても言及していますから,部分的にということにはなりますが,これを端的に示しているのが第四部定理八であるということになると思います。この定理Propositioに関しては,悲しみと悪だけに関係した現在の論点からはもうさすがに証明する必要もないと思いますので,ここでは省略します。悪と悲しみは単に概念notioとしてだけ区別することができるというこの考え方も,やはりスピノザの哲学の大きな特徴のひとつであるといっていいと思います。