スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

チータカカップ&人間の精神との関係

2008-08-03 18:58:04 | 競輪
 連続して四国での開催となっている記念競輪。今日は高松記念の2日目優秀(動画)のチータカカップでした。
 前受けは荒井選手。香川選手が4番手,浜口選手が5番手に入り,平原選手が6番手からの周回。平原選手の上昇は遅く,残り2周のバックに入ってから。打鐘で一旦は荒井選手を叩きましたが,そこで流したので再びインから荒井選手の突っ張り。ホームで平原選手はまた発進しようとしましたが,西川選手と絡んで落車。乗り上げた神山選手も落車となりました。流れ上で先行1車となった荒井選手の先行。目標を失った有坂選手がバックから自力で捲り上げてきましたが,これは3番手に入るところまで。結局,荒井選手,西川選手,有坂選手という順序のままでゴール入線。平原選手の落車に関係したと思われた西川選手ですが,判定はセーフで,入線通りで着順も確定しました。
 流れの上とはいえ,先行1車になりましたので,残り1周からは荒井選手にとって楽でした。平原選手が早めにくれば引いて捲りに構える作戦ではなかったかと思いますが,かなり遅かったので隙をついて突っ張ったのはいい判断だったと思います。平原選手はもう少し早めにいくか,一気に叩いてしまった方がよかったのではないでしょうか。
 なお,平原選手は明日以降,欠場となったようです。神山選手は出場します。

 今度はこのことを,人間の精神との関係で考えるのですが,その前にひとつ,考える前提としなければならないことがあります。それが第二部定理六系との関連です。すなわち,神のうちにある観念が生じてくる必然性,あるいはそれを必然的であるといわしめる原因と結果の秩序と連結は,その観念の対象が生じる秩序と連結に一致します。よって神のうちにある秩序と連結をもって何らかの観念が生じるのであれば,この秩序と連結が,どんな知性のうちにあっても同一でなければならないのです。
 そこで今,ある人間Aの精神の本性を構成すると共に何かほかのものの観念を有する限りで神のうちにある観念Xを原因として,ある人間Aの精神の本性を構成する限りでのみ神のうちにある観念Yが生じると仮定してみます。この場合,観念Yはこうした秩序と連結で生じなければなりません。よって観念Yは,どんな知性のうちにあっても,必ずこうした仕方でXから生じなければならないのです。つまり人間Aの知性のうちにあっても,Yはこの仕方でのみ生じ得るということになります。
 ところがここでは,Xの十全な観念はAのうちにはないということがすでに仮定されています。つまりこれが可能であるということは,すでに仮定に反しているのです。よってこれはそれ自体で不条理です。つまり人間の精神のうちにある混乱した観念があるならば,これを原因としてこの人間の精神のうちに十全な観念が生じるということはありません。いい換えれば,Aの精神の本性を構成する限りで神のうちにある観念が,Aの精神の本性を構成すると共にほかのものの観念を有する限りで神のうちにある観念を原因として生じるということはないのです。
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